戦乱、どう生きるべきだった?
先ずは、これまでの内容確認
日本国、というひとつの大きな機械が
戦争に向かって、フル回転した時、
貴方は、どこまで、この機械に
潰されず、自分の道をゆけるか?
この期間は、多分?日清戦争からスタート、
半世紀くらいかけて、
太平洋戦争に突入した?
この約半世紀という期間中、
日本全国民が、なんら部品として、
この大きな機械と共に共鳴し、回転した、
ゆえに、全国民が、
「微妙な」?「グレーゾーン」
いえ、「ブラックゾーン」?
として、規則正しく?
一生懸命に働き続けたのだ?
いつの間にか、夥しい犠牲、敗戦・・・
という信じがたい結果になった。
全国民が巻き込まれた悲劇だ。
生き残ったものに、「僕だけ真っ白だ」
と、手を上げられるものは いる?
全国民が「部品」として巻き込まれたから?
論理的には、逃れないはず。
この「常識的な論理」に乗じて、
「全国民」をはずし、「攻撃目標」を
限られた「大物」だけに照準し、
攻撃戦を始めるのは「批判学者」だ、
自身の父兄が間違いなく「戦争加担」
などに当たるにかかわらず、
龍蔵、という偉大なる業績者だけに
喰らいつく、以下前篇などで既述、
もうリピートしないが。
「批判人類学者」は
通俗的・常識的論理から、
非常識的・非論理的な攻撃を行った。
その時代に居あわせなかったことだけを
「強み」にした行動だ。
以上は、これまでの各篇の確認、
以下は本篇に入る:
龍蔵の生きた時代では、
前述とおり、なにをしようと、
「戦争加担」だとされる。
龍蔵の場合、
言われないための唯一な方法は
何もせず、のらりくらり、業績を持たず、
すると、今日の「批判人類学者」の目に
とどまらない、槍玉にされない。
これは世の中の常:
業績を上げた人ほど攻撃対象にされる。
企業の中でも、
トップセールスほど足を引っ張られる。
では、超人的学習・研究能力をもつ龍蔵は
「出る釘」にならないため、
周囲の顔色を伺いながら、ひそひそ
力を発揮せずに、「無難な」一生を
送るべきだったでしょうか?
「あの人はいい人だった」と言われ、
この世になんの業績も残さずに
ひっそり一生を送るべきだったか?
否、であろう。
大空を縦横無尽に飛翔した
トクシマ・ドラゴンがあったからこそ、
僕らに使い果たせないほどの膨大な財産、
知的文化財を今日に残したのだ。
その戦乱の時代に居た以上、
選択肢はこの2通りしかないのだ。
「第3の選択」とは、タイムマシンに乗り、
「バックトーザーフーチヤー」しかない。
残念なことに、今日になっても
「タイムマシン」はできていない・・・
だから、龍蔵の選択は正しく、
何一つ後ろ指をさされることはない。
そして、僕らは、龍が残してくれた
莫大な文化財をありがたく継承すべし:
龍蔵が命がけ、生涯かけて築いたものを。
だから、結論は、戦乱の時代に生きたが、
龍は正しかった:
龍は、飛ぶべきして飛んだのだ。
試問:「批判学者」の貴方自身は、
世のため、人のために何をしたか?
人類の文化的財産を「批判」し、
何を築き、何を生産したのか?
本篇も引き続き、
憤慨した研究者先生方の怒りを
ぶっつけます。
民間生産機構、一般企業では、
他者の批判だけで「働いた」ことになり
報酬をもらえるのは極めて稀なことだ。
他人批判を「学問」「生産」「働き」と見なし
報酬をもらえ、暮らしてゆける「仕事」とは?
国公立など国民の税金を食う機関なら、
そういう「批判学者」に報酬を与えるのは
税金の正しい使用といえますか?
「学問とは何か」という基本に戻り、
「研究」をチェックすべきでは?
発表したから、
報酬を与えるのは甘くないか?
プラスの生産性があるのか
が基準のはずでは?
「マイナスの生産性」に対する減給
こそ合理性ではないか?
国民の税金を大事にすべし。そして
誹謗中傷は犯罪であることを、肝に銘ずるべし。
あざらしの僕も、
腹立たしい・・・