今の感覚で、海外の旅は
飛行機で、

欧米でも10時間前後
アジアだと、何時間もいらない?
世界のどこでも「近い」?
地球は「小さい」?

この「今」を「現代」と呼ぶなら
龍蔵の時代を知るに
「タイム・スリップ」が必要?

..................................


以下、「タイム・マシン」 に乗り込み
龍蔵の時代を見てみましょう、

あの戦雲が漂う日々、
龍蔵はどういう「交通手段」で移動した?

これは想像を絶するくらいのもの、
日本から相手国までは「船」
(飛行機は1930年代初のもの
それまで 空の交通はなかった)

1939年、
龍蔵が自分の仕事のサポートを求め、
アメリカで仕事中の次女を呼びよせた
(長女は苦労な海外調査同行を好まないため)

それは、飛行機で米国~北京 着だった、

「飛行機で!」 だけで
大変話題になった!

だから、これ以前の時代には
国際間移動は船しかなかった!

よって、龍蔵は外国着までは船、
それも、そんな都合のよき客船はなく、
貨物船などに便乗させてもらい、
「貨物鳥居龍蔵」として?
行き帰りしたようだ?

貨物船の「居心地」は?
なんて 贅沢を言っている場合じゃね~

遥かに「居心地」が問題なのは
相手国到着後なのだ!

戦乱で命の保証もなく、
病気・怪我の「保険」などもない、

それでも、龍蔵は躊躇することなく
現地に飛び込んで行った:

例えば、20世紀初頭
中国西南少数民族地区調査時

戦乱最中のため、
中国人当時の「辮髪」をつけ、長い中国服で
中国人に変装し(女装じゃね~)
馬に乗り(山地で歩きにくいところ多し)移動した。

そんな龍蔵が日本人だと
誰も気づかなかったそうだ!

おもしろいことに、中国人通訳は
大変なおしゃれだった:
ばしっとした背広で「洋風仕込み」
黙っていてもやたら目立つ方

道々、皆は彼が日本人だと思い込んだようだ!

辮髪の龍蔵は「地元」に見えたのだ!

...................

家族同行の「大掛かり」調査は
さすが 大変だった!

戦乱な現地での食料他の調達はむり、
だから、お米など食料・日常用品すべて
ほとんどが日本から持参、

数ヶ月滞在となったら、
「リュック」いっぱい ではだめ!

海外調査の鳥居研究所
定員は常に 4人:

  龍蔵  所長 全指示指導
  きみ子 補佐 炊事
  次女  記録 スケッチ 模写
  次男  カメラマン 力仕事

この4人分プラスアルファの上記品が必要。

これが山積みになって、全部持ち歩きになる。
現地調査は都会部ではなく、山村・野原など、
だから、移動は「牛車・馬車」しかない!

荷物を全部積み込み、
人間もそれに乗る、

道のりが長く、
牛さん馬さんを急かしてもしょうがない
皆でゆったり、ガタコト、ガタコト・・・と
雨でも風でも、雪でも霰でも、
一歩一歩と目的地に向かうしかない・・・

今の目で見ると、ぼろぼろ
丸で「こじき部隊」? (失礼!)

夕暮れ以上の移動は危険だから
山村の農家に泊まり

宿泊料・食費としてお支払いをし
お世話になる・・・

誠実誠意の龍蔵一家は
山民・農民たちに歓迎され
気持ちよく宿泊し、旅を続ける一家だった。

極端の例は
モンゴル調査時だ:

モンゴルの小川などは「変換自在」
突然現れたり、突然消えたり、

全く違うところで激流になったり・・・
それに、水がいきなり腰まで深く
女性には特に手ごわい!

龍蔵は百戦錬磨で騎馬達者だが
馬乗りに慣れてないと
馬さんのまん丸なお腹を跨ぐのも怖く
馬が下を向くと、
滑り落ちそうで悲鳴を上げたくなる!

モンゴル兵たちは 大変緻密に察知し
おとなしい温和な性格の馬さんを
女性にまわし、乗らせる

いたずらな馬さんは
乗り手が慣れてるかどうかすぐ分かり
慣れていないと見たら
立ち上がったり脅したり
振り落とそうとするようだ?、

モンゴルでの移動は
このような モンゴル兵たちの
大変親切で献身的な助けがあってこそ
龍蔵一家は無事に移動できたのだ!


鳥居龍蔵のモンゴル調査業績をいうならば
先ずは、これら純真なモンゴル兵あってのこと

又、これほども優秀なモンゴル兵を派遣した
カラチン王府あってのことだ!
といえるのだ!

...............

海外調査における鳥居龍蔵の業績は
海外における評価はだんとつである。

海外では、人類学考古学と言えば
先ずは鳥居龍蔵。

学問的実績主義からすると当然のこと。

このゆるぎない位置づけの由来は
もちろん、その学問的実力による、

と同時に、日本では「評価し忘れている」?のは
その素質の中の「国境のない 幅広い
異文化受容力」である。

この受容力が根底にあるからこそ
鳥居龍蔵が海外のどこに行っても
その地の人々に好かれ、

皆が彼の調査を
力いっぱい手助けをした。

これは学問的実力と共に
人間鳥居龍蔵が生まれ持つ素質によるもの。

むりなく、常に自然体、飾らず、
素の 人間鳥居龍蔵 のまま
世界に飛び込んだ彼は
そのまま、世界にも受容された。

この点は、彼の海外調査における
「偉大なる業績」を建てられた
端的に言えば、最大な要因と言っても
決して過言ではあるまい?

なぜなら、どんなに学問的才覚ありでも
現地に嫌われ、拒否されれば
もう「門前払い」され
「人類学調査」どころではない・・・

だからこそ、僕は言いたいのは、
学問以前に、ないし学問的才覚と
同等または、それ以上に
人間鳥居龍蔵の持つ
そのだんとつした 人間的魅力・異文化受容力 が
彼をして、学界のトップに立たせたのでは?

............................


もちろん 他にも 
命も投げ出すほどの情熱・勇気・健康 
と強運などもあるが・・・


..................................


本文は、龍蔵一家に詳しい方々の
大変ご親切な情報提供と助言を頂いており
本当にありがとうございます!

これからも
どうぞよろしくお願い致します!




鳥居龍蔵、
その学問活動日程は、
恐ろしいほど過密で
10代かたら80代、
常に「飛び続けた」

25歳からの「遼東半島調査」をはじめ、
26歳の台湾調査など
早々海外調査に「乗り出した」 とは言え
これらは、東大派遣の調査、

同じく、30代前半までに
中国西南少数民族地区調査、
北海道・樺太・千島アイヌ調査
ロシアのウラジオストーク、
サンクトペテルブルクなどにまで
調査を進めた・・・

その中、命の危険ありありで
当時東大の研究者たち
誰も手を上げて「行きます」といえないほど
怖い「台湾調査」があった:

「首取り族」と言われ、
人間の頭がい骨を戦勝者のしるしとした、

鳥居龍蔵 26歳
ただひとりが この仕事を引き受け、旅立った、

他篇で述べた龍蔵の素質からだろうか
龍蔵は「首取り族」から好かれ
首を取られるどころか、
皆よろこんで龍蔵の「取材」に応じた、

そのほのぼのとした「取材風景」は
カメラに納められ、今では
龍蔵海外調査の「モデルケース」なのだ!

なんのむりもなく、らくらく
海外現地に溶け込む龍蔵の姿は
その偉大なる実績の由来を示しているのでは?

手を上げられず、しかし、龍蔵の調査に
喰らいつき、いちゃもんする者もいたが

はっきり言って、こまごましたことは
どうでもよいことだ!

調査はプロセスであり、結論ではあるまい!
度重なる調査によって、はじめて
結果に近づけるのだ!

.............................


さて、龍蔵の時代に話を戻す:

明治維新、社会は激変
海外文化は急速に流入・・・

幼少時、三国・水滸にぞっこんの龍蔵
欧米文化にも大いに魅了された・・・

アヘン戦争(1840~42年)を機に、
欧米諸列強はアジアに

日清戦争(1894~95年)・日露戦争(1904~05年)
 
中国大陸で 辛亥革命、清王朝終了

欧州 第一次世界大戦(1914~1918年)

日本 「関東大震災」(1923年)

世界恐慌 (1929年)

「満州事変」(1931年)

第二次世界大戦(1939~45年)

日中戦争(1937~45年)

その後、中国は内戦(国民党ー共産党)
中国共産党政権(1949年)国民党は台湾に

......................

以上は大きな戦争、小さなものは数知れない

正に「激動な時代」「戦乱続きの時代」!

海外現地で変装(女装じゃない!)しての調査で
どれほど危ない時勢だったかが 分かる・・・

若き鳥居龍蔵は、この「激動戦乱の時代」に
人類学調査・研究一筋 数十年働き続けた!

龍蔵の一生は、正に
「激動・戦乱」と共にした一生と言えよう!

その実績は
こういう環境の中での「産物」と思うと
尊敬と驚異を禁じられず、

涙が溢れるくらい 
複雑な気持ちになってしまいそうだ!

.............................

どんな時代であろうと、鳥居龍蔵はけっして
学問の道を踏み外そうとしなかった、

「学問の真実は曲げられない」と言い、
どんな強権にも、屈せず、マイウェイを貫いた。

激動戦乱の時代を「泥沼」に例えれば
その中、泥にまみれることなく
まっすぐに立ち 花びらに輝く露をのせた 
清純な 蓮の花が咲いている
これこそは 鳥居龍蔵の姿といえよう


「清廉潔白な学者」とは 鳥居龍蔵のことでは?


.......................................


意地の汚い僕
食べ物に大きな関心がある、

特に、龍蔵が何回も訪れ
かなり生活をしたモンゴルで

龍蔵・きみ子は
日々なにを食べたのだろうか?

それは龍蔵にとって、美味しかった?
などなど・・・
事情をよく知る方々に取材し、
大まかなものだが、
ご紹介したい:

大草原とはいい、
何種類かモンゴル人が日常食べている
野菜があります、
肉類は羊が主。

「パン」にあたる穀物で作ったものもある。

羊のミルク・チーズは常に食卓にある。

現代都会にある「オートブル」みたいに、
バライアティ豊富な食べ放題ではないが、

当時の時代では、
けっして「貧弱」とはいえない
栄養たっぷりな上等な食事だ。

これは、一般のモンゴル遊牧民たちを見ても
そのとてもりっぱな体格 と よき血色からも
納得できる。

................

龍蔵調査時の食事を見てみましょう、

あの名高い「東陵」調査を例に見ましょう
参加者は 鳥居龍蔵 調査の主役 指導者
     きみ子夫人 補佐、料理人
     次女の緑 東陵壁画の筆者
     次男の龍二郎 カメラマン 
            力仕事の作業

時は冬、今の「温暖化」と縁遠いため、
「酷寒」そのもの、
全員凍傷でぼろぼろ、眉も霜で真っ白・・・

(寒さで大変厳しい顔をした龍蔵・きみ子の写真を
見ても実感できる ~ 『満蒙を再び探る』の表紙
写真をご参照くださいませ)


水没しかけた陵内、水がすっかり凍り、
その上を踏んで陵内調査をした・・・

そうそう、「スタッフ」はもう一人いた、
それは陵の奥で冬眠中の
恐ろしほど大きな「大蛇」だ、「彼」は
とうとう作業には加えなかったが、
じゃまもしなかった・・・
「大蛇」に守られた調査といえよう。

壁画を当時のカメラでは、むり、
カラーも写らないし、
模写するしかなかった、

これは絵画の才ありの緑の仕事で、
きみ子夫人は豆油のランプを手に、
壁画と緑の手元を照らし、
時には凍りつくその手を揉み解す・・・

この作業は正に時間との戦い、
少しでも暖かくなると、
氷が解け、陵は水浸し、水没する、

だから、この作業は早朝から夕暮れまで
せっせと、緊張の中進められた、

だからと言って、
雑なものを書くわけにもいかず・・・

この極寒な暗闇の中の 緻密な作業は
緑の目をかなり傷めたようだ・・・

結果、この「東陵壁画模写」は
世界オンリーワン、ナンバーワン の
遼代文化を知る又とないものになった。

全作業中、きみ子夫人は皆より一歩早く、
パウに戻り、全員(護衛モンゴル兵の分も)の食事を用意した:

パウは良くできているもの、
確か、「ストーブ」は中心にあり、
煙突は上向きまっすぐ パウの外に突き出ている、
煙や廃気ガスはここから出てゆく、

燃料は牛さんの糞を乾燥したもの、
それは 程よい大きさで、全然匂わない
丸みおびた 草の塊みたいなもの・・・

働き者の牛さん、
重いものをなんでも背負い、
ミルクもくれる、その上
燃料まで提供する・・・

それに、黙々温厚で、
やさしい大きな目で皆を眺める

そんな牛さんに龍蔵一家は
大変感謝した、もちろん

同じく、馬さん、羊さん、犬さんにも
こころをこめて感謝、感謝だった!

.................

さて、食事に話を戻す:

日々の食事は、
今でいう「鍋物」にあたるもの、

食材を全部煮込み、
美味しい味付けをし、
「パン」をスープにつけたりもする、

簡単のようだが、栄養豊富、美味しい!

................................

食事が始まると
いつもきみ子夫人は
一番先に モンゴル兵の皆さんに
鍋物を一人一人の椀に入れながら
「お疲れ様」と お礼を言ったのだ。

モンゴル兵と鳥居一家
暖かいストーブを囲み、
大家族になって仲良く食事をした、

素朴純心なモンゴル兵たちと龍蔵一家は
ハートが通じ合った!

寒い中働いた皆さん、この
暖かく美味しい料理に、
「美味しい!美味しい!」と
舌鼓を打って、腹いっぱい頂いた!

ミルクは絞りたて
都会では味わいない新鮮で美味しいもの、

チーズの形は素朴で大して加工されていないが
本物の有りのままの味で
龍蔵一家に好まれた。

.........................................

※「護衛モンゴル兵」とは
 龍蔵はそれまで モンゴルの
「カラチン王府」との長年の付き合いで
 カラチン王府のお客さんでもある。
 だから、王府は龍蔵一家の安全のため、
 護衛兵を送ったのである。

..........................................


以上、モンゴル調査における鳥居龍蔵の食事

特に、その著名な遼文化調査の
重要一環の「東陵壁画」調査・模写作業期間中
における、龍蔵一家の食生活を例に
つづりました。

..........................

ここで感じたのは
食事に限らず、鳥居龍蔵には
異文化をらくらく受容できる柔軟なハート
があり、だからこそ

どの国、どの地に行っても
楽々溶け込み、なんのむりもなく、
学問調査を進められたのだ!

これこそが生まれ持ったその本質、
即その体質・ハート・・・などが
「人間鳥居龍蔵」そのものなのだ!

これらが世界の鳥居龍蔵を作ったのだ!


..............................


さまざま楽しいお話を下さった方々
どうもありがう!

時間がどんどん流れゆく中
きわめて貴重なお話だ!



鳥居龍蔵の本を検索するにあたって、
意外と「落とし穴」がある

............................................

著者名 で検索 場合

鳥居龍蔵
鳥居竜蔵

の2通りある。


「元の「龍」 とその「略字」の 「竜」

検索者は同じ漢字だから、
どちらで検索しても
結果が同じと思うが、

しかし、違います:

コンピュータ様は、この2つの文字を
別物と判断するのだ。

よって、その本を登録した当初、
「龍」でしたのと
「竜」でしたのと が
別のものとして、分類されてしまう。

すなわち、
「龍」の画面 と「竜」の画面に
なっている。

.........

この結果、

検索段階において

検索者が入力された文字により
どちらかの画面が現れ、
龍蔵著書全部が
同一画面では見られない
ことになる

「あら、この本はない!」と
思ってしまい、
検索を終了する方もいるが、

実は、検索の人名入力漢字を変えれば
もう一通りの著書が別画面に現れる。

コンピュータ様は緻密だからこそ
こういう結果になる。アマゾンさんも
こうなっている。

....................................

著書タイトル検索のほうが
略字など、「複雑な状況」にならず
単純に結果画面が現れる。


例えば

龍蔵著書『上代の東京と其周囲』を
アマゾンで、検索する、

著者名を「龍」で検索すると
本書は出てきません、

「竜」を使うと出てきます。

.............

書名で検索すると、
いち早く出てきます。

....................

以上は「著者名検索」 及び 「書名検索」について
述べたもの。
「書名検索」のほうが楽 に見える。

(著者名に略字など選択肢があると
 複雑になるから)

.......................................

次に、画面に書名が現れた時
同じ本の違う版があり、
新書・古書もある。

鳥居龍蔵の場合、
「新書」の全ては「復刻版」であり、例外なし。

例: 『ある老学徒の手記』 数種版あるが
   すべてが「復刻版」である。
   「復刻」と明示せず、「自社専売特許」のように
   販売プロモーションを展開するものもあるが、
   全てが、朝日新聞出版の復刻版。

『上代の東京と其周囲』のを探す場合
「新書」は、トクシマ・ドラゴン・ブック一種だけ、
 だから、「新書」をクリックすれば、
 次の画面に出てきます。

......................

ここにもう一つ「きまり」がある。
簡単に言えば、「強者の原則」
すなわち、大きな企業で
本をいっぱい出したもの優先の原則

同じ本でも、こういう「強者」が出した本は
常に上位に現れる、
「弱者」の本は、端、下、或いは
かくれんぼうみたいに かなり探さないと
見当たらないことも多い・・・

これは 「不公平」といえるか?
となると、そうも言いがたい、だって

アマゾンさんも商売、
多く払っているもの優先、
これもいたし方ないことなのだ。

...........................................

以上は検索にある さまざまな 「からくり」を
述べたもの。ぜひご検索にご活用くださいませ。

特に、当サイトのお客さんである
トクシマ・ドラゴン・ブックさんが出した
龍蔵著書の「新版・新書」は

今日の皆さんに
龍蔵を知っていただくため
元のものを刷新し、きれいに読みやすくした。

だから、ぜひ アマゾンなどで、
探して頂き、お読みいただければ、
と思われます。

.......................

ご参考までに 新版新書 復刻版
トクシマ・ドラゴン・ブック
 ・『ある老学徒の手記』 
 ・『満蒙を再び探る』   約 400 ページ
 ・『上代の東京と其周囲』 約 300 ページ
(詳細は又別篇でご紹介します)

トクシマ・ドラゴンとは鳥居龍蔵のこと。

価格につき、龍蔵ふるさとなどゆかりのところでは
サービス的だそうです。

...............................................

以上どうぞよろしくお願い致します。




以下、武蔵野文化協会 総会のお知らせで~す!

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武蔵野文化協会
平成27年度総会・記念講演会・見学会


7月総会は、総会・記念講演会・見学会を下記により開催します。
午前中、講演会に先立ち「国名勝 殿ヶ谷戸庭園」の見学会を実施します。是非ご参加下さい。
恒例による懇親会も予定しています、併せてご参加下さい。

                 記
日  時 平成27年7月5日(日)11:00~16:30
日  程

    ● 見学会 (一般公開・参加無料)
11:00  集 合:殿ヶ谷戸庭園入口前
(JR中央線・西武国分寺線・西武多摩湖線「国分寺駅」下車徒歩2分(別図参照)
ご案内:樋渡達也氏(本会理事長)
内 容:大正2年から満鉄副総裁江口定條の別荘として整備、
    昭和4年三菱財閥の岩崎家の別邸、
    後に都が回遊式林泉庭園として開園。



12:00 (休憩・昼食)
      総 会・記念講演会(受付開始12:30~)
     会 場:東京都国分寺労政会館第3会議室

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この部分 会員限定

13:00 武蔵野文化協会平成27年度総会
・26年度事業報告・決算報告
    ・27年度事業計画・予算
・『武蔵野』創刊100周年記念事業の推進状況


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14:20  ● 記念講演会(一般公開・参加無料)
・演題:「殿ヶ谷戸庭園(随冝園)と岩崎家」
・講師:樋渡達也氏(本会理事長)



その他 ・昼食は一時解散。周辺に食堂あり。
     お弁当持参可。
    ・見学会参加費は無料。日程に若干の変更あり。
    ・懇親会は会費3000円。当日受付。


武  蔵  野  文  化  協  会

電話・FAX  048-775-6918 (加藤方)
携 帯 090-2402-8038(当日)
メール    kt-isao@jcom.home.ne.jp
次 回  9月例会は、9月13日(日)比企の郷に板碑生産地と中世の歴史を探る(予定)