日本文化のうち
「文字」の漢字は
中国からの「移植」といえる?

しかし、「ありのまま」はむり?
「表現の仕方」も「意味」も
微妙に違っているそうだ?

漢文化に詳しい学者の方から
教えられ、「なるほど!」 と
と感じたことを皆さんに
紹介してみたい
共感されることもあり かも?

例えば、
人がなくなったことにつき、
今でも中国社会の常識?として
「死去した」のような
ぶっきらぼうな表現はしないそうだ!

それはきわめて失礼で唐突、
なくなった方への思いやりのない形
事件事故の報道は別として、
一般的に使わない表現だ!

しかし、ことばに大変「過敏」?な日本で、
平気でこの表現は使用される・・・

英語も同様、
おなじことを、とてもやさしく表現する、
中国語と同じく
「この世を去った」と
やんわり言われる、

海外では 日本語のような
愛情を感じないこの表現を
できるだけ避けているようだ。

ならば、
この用語しかないわけじゃないから

よりやさしいことばに
置き換えたほうがよさそうだ?

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漢文・歴史ご専門の先生方
多くのことを教えていただき
本当にありがとうございます!

鳥居龍蔵の「オリジナル」とは?

そのだんとつした「海外調査」から見たい

それは、

  ① 現地調査における「オリジナル」

    例えば、研究対象の「現地調査」

 
   龍蔵は、研究対象の現場に必ずゆく。
    それがどんなに遠くても、
    道のり・天候がどんなに険悪でも・・・
    研究対象の実物-これが「オリジナル」
    を自分で直接をしっかり確認する。


 
 ② 資料調査における「オリジナル」

    例えば、研究対象の「資料調査」
    海外であり、外国語資料がメイン、

    龍蔵はそれらを全部原文で読む
    これは龍蔵学問研究の鉄則。
    翻訳文などは読まない。
    
    このため、龍蔵は8つほどの外国語を
    使いこなしている。

    現地調査のため、資料研究中の龍蔵に
    お茶を書斎に運ぶと、
    あの模様みたいなモンゴル文字資料に

    夢中になっている龍蔵がいた、

    あわせて、欧州宣教師たちの仏・英文書
    も真剣に読んでいた: 布教と同時に、
    彼らは実にいい研究したことを、龍蔵は
    感心していた。

    資料を読みこなし
    龍蔵は研究対象の所在地まで
    こと細かに把握する。

    海外に出てから、
    「この辺」か、「あの辺」か で

    「モグラ叩き」発掘の「学者」もいたそうだが・・・

    鳥居龍蔵は日本を出る前から
    現地を丸ごと 頭に入れてある。
    到着したら、確信の発掘をスタート。

    龍蔵の発掘は「魔法の杖」など
    伝説的にもなったくらいの
    100%の的中率で有名。

    これは理系出身の龍蔵の
    徹底した科学的方法論の結果なのだ。

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       以上から、
    「オリジナル」精神は
    「龍蔵学」の根底をなすのが分かる。

    このような鳥居龍蔵である以上
    今日 鳥居龍蔵の学問を研究するに、
    「オリジナル」に基づくのが筋では?

    例えば、鳥居龍蔵著書は
    きわめて分かりやすく書かれており、
    そのまま読めば、
    素の鳥居龍蔵が 十分理解できる。

    にかかわらず、わざわざ、
    「現代の権威」に「評論」等をつけさせ、
    セールス・プロモーションを行い
    結果的に、その「権威」が思う鳥居龍蔵になり
    オリジナルの、ありのままの龍蔵ではない。

    よって、他者の「評論」なしの
    無添加・無着色の龍蔵著書を読みましょう、

    「権威」にたよることなく、
    鳥居龍蔵その人、その学問に
    直接 接してみましょう

    これが正に鳥居龍蔵の
    オリジナル的方法論では?
   

今でも、学問の道へ進むに
学位取得 が大事

修士号も、博士号も
論文作成は ほぼもっぱら
「他人の論文から他人の論文」

その「仕上げ」は、よく言えば
「勉強のプロセス}

悪く言えば、
「盗作の集大成」?(極論ごめん!)


このような「学問の道」は
その先も 「平和で穏やか」に
延々と続き・・・
・・・・・・
憧れの「研究者の道」だ。

「年功序列的に」地位と名声を得
「権威的評論家」になり、

学界歴史上実力実績の学者を
「評価」したり、「批判」したり
思うまま したい放題・・・

「評価」「批判」イコール「学問的実績」
であるかのよう、鼻息は荒い!

泥まみれの現場で苦労することなく
学界「上位」に立った成功感に満ちる!
・・・・・・
極一部?だが、
前記のような「学者」もいるそうだ?

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こういう「学問の道」に恵まれず?
鳥居龍蔵の 学界における「浮上」は

スタート時点から
もっぱら 
その「泥臭い」命がけの現地調査

それを本人が好きでしょうがないから、
本人は幸せだが!


泥水の中から、一本の蓮が 
「ポン」と 音を立て、
初々しい花を咲かせ 清新な香りを放す 

美しい蓮の花のような その実績 を
世に送り出したのだ!

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あざらしの僕

こういう泥まみれの学者鳥居龍蔵
その人生を通観しながら
声高く言いたい:

「泥まみれになることなく、
学者を語ることなかれ!」 と!


 

ここの「バランス」は
広範囲のものでなく

本篇では、
その「日常的側面」と「学問面」に限り
見たい

他篇で、日常において
自宅電気のスイッチの 
どれが どの電気なのか
さっぱり関心がなく、
「モグラ叩き」式に操作する・・・

(やはり他篇で)
旅に出て、費用の全部が
どこに置いたか まったく記憶なし・・・

などなど、鳥居龍蔵は
日常的にいい加減で、おっちょこちょい、
だ というようなことを述べた。
・・・・・・

こういう面だけ注目すると、
龍蔵は まるで「だめ人間」!
その頭脳で、なにか大きなことを
成しえるとは、見えないかも?

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特に 日本の社会文化は
こまごました面で人間を評価し

「こんな小さなこともできない人は
もうだめ人間だ!」という教育あり?

そのため、幼少時から他人の顔色を
上手に読み、
細かいことに「全神経」を集中し
点数稼ぎする習慣を身に着ける、

だから、スケールの大きな人物・
個性的な人物は育ちにくい、

途中でふるい落されてしまう から。

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龍蔵は 幸いにも
明治 という激動な時代に成長し
自由自在に生活し、
その個性・特徴を思い切り伸ばせた、

又幸運にも、才能を認められ
さらなる成長につながったのだ!

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日常的なこと、細かいこと が「不得手」?だが

本業の人類学調査になると
ずば抜いた「切れ者」に変身、

海外の訪ねたことのない調査現場につき
現地の人々より詳しいくらい、

発掘すべく遺跡は、山奥のどこにある
たどり着くための道は、
森がここ、川は・・・など
緻密な地図を自ら作成する、

海外着後、他篇で述べた「乗り物」で
雪でも嵐でも、「亀さん」のように
目的地に向かうのだ・・・

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日常的に、全く無頓着、しかし
人類学調査 となったら、群を抜く実力
比類のない 頭脳の切れ味・・・

「だめ」な面 と優れた面・・・
一見「あい反対」?に見える側面が
同一人物に備えている、

すなわち、これらが、
人間鳥居龍蔵の「バランス」といえよう!

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世界の偉人、天才として
偉大なる業績を残した人々は、

どちらかというと、
こういう「バランス」を持つ方々が多いようだ?


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貴重なお話。ありがとう!



戦乱時
「海外調査」の日本人学者は
皆そろって、軍服着用
腰にピストル
これが「定番ファッション」だった、

よそから見ると
「軍人」にしか見えない!

そういう「学者」たちは
正に「時代の人、時流の人」!
鼻高々だった!
(中には戦後すぐ
GHQにより投獄されたものあり。

戦時中から、米国諜報機関は
戦争加担の日本人学者全員を
正確に把握していたのだ。)

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鳥居龍蔵一人だけ、
軍服は着ない、武器はいらない、
一般人のままの姿で、
海外現場を人類学調査で走り回る・・・

当時では、
ダサいで、ぼろぼろ
なんともかっこ悪く見えたそうだ!

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こんな鳥居龍蔵が
海外現地発掘調査中(確かに中国大陸)
突然、何人かの日本兵が近づいてきた、

なにか、ややこしいことか?と
龍蔵一行は戸惑った・・・

したら、兵士たち、中には役つきも
大変うれしそうに、口々
「鳥居先生!」「鳥居先生!」と言い、

「鳥居先生がここに来るのを知って、
来たのだ!」と、    

話を聞くと
彼らは皆徴兵された大学生
まだまだ勉強したかったが、この地の
駐在として、送られてきたもの、

この寂しい山村に現れた龍蔵は
彼らにとって、正に
「ふるさと からの使者」なのだ!

「考古学を学びたかった!」
「歴史を学びたかった!」など、それぞれの
夢を語らい、「先生に会いたかった!」
「何か手伝うことがあったら・・・」と

懐かしさいっぱいの気持ちで 彼らは
龍蔵に会いに来たのだ!

軍服は着ているものの、中身は
純真な、夢いっぱいの青年たちだった!

龍蔵は感動し、しかし
とても切ない気持ちだったそうだ:

これら純真な青年たち、これから
戦争の中 どうなるのだろうか、
彼らの運命を とても気になり、心配だった・・・

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帰国してから、彼らの中からの便りを
受けたこともあったそうだが・・・
行き先は不明に・・・

若者たちを巻き込んだ戦争、
・・・・・・
異国の山村に現れた彼ら、
将来への夢をもったまま、
その後は・・・?

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龍蔵と若者たちの切ない出会いは
海外では一回ならずあった、

龍蔵の胸に残った、
うれしいとは けっして言えない

むしろ ほろ苦く痛みを伴う、
忘れがたい思い出だった・・・

彼らはその後どこに・・・? は
ずっと龍蔵の胸の中で
繰りかえし響きわたっていたそうだ・・・

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龍蔵一家を深く知る方々
お話・情報ご提供ありがとうございます!