馴染まない言葉たち。
「(心に)刺さる」
刺さったら、痛いじゃん?笑
その言葉や何かは、硬くて尖っているのか?心は柔らかい物体なのか?
批難の声が刺さる、とかネガティブな意味ならまだわかるのだが、今はむしろポジティブな場合に使われている。
刺さって、その後はどうなるのか。ずっと刺さってるの?笑長い年月を経て、たくさんの物事が刺さっていったなら、ハリネズミ…。
代わりに「心に響く」ではどうか。弱い?
世代間ギャップ。
井上尚弥が那須川天心についてコメントする未来、をちょっと前まで想像もしなかったが、そういえばそれぞれのドキュメンタリー番組を観て感じた、共通する(私との)世代間ギャップについて書こうと思っていた、ことを思い出した。
井上尚弥のドキュメンタリーは二年くらい前か?試合に向けてのスパーリングの出来が悪かった時に、トレーナーである父にラインで「お父さんごめんなさい」みたいに謝っているシーンがあって、びっくりして。あんた世界チャンピオンなのにって笑。
私の世代くらいまでは、父親は無条件に反抗、嫌悪の対象なのが自然、という感覚だと思うが、下の世代からはそういうのを感じない。那須川も父親が関わってくることを自然に受け入れている感。素直さ、無邪気さ、ひねくれなさ?反抗期とかなさそうな。これはどういう現象なのだろう。もちろん「人間関係」とは千差万別で然るべきなので、父ー息子という関係に縛られる必要は全くないのだが、奇しくも二人から同じ感覚を受けたので印象的であった。「反抗期なんてコスパ、タイパが悪い」とか言われるのか?笑
もう一つは、格闘家なのに「心の闇」を感じさせないこと。私は「心の闇」という言葉が「分かった風」の代表みたいで嫌いなのだが笑、敢えて分かりやすく。何とか説明するなら、見えない、見せない心の不穏な部分、という感じか。
昔、総合格闘技に参入してきた空手家(極真?)の人が、試合前の煽りVTRで「格闘技は(スポーツと違って)半分は殺し合いなので」と言っていて、ゾクゾクした思い出。ちなみにその方の必殺技は、スリークオーター気味の前蹴りでつま先を相手の肝臓に突き刺す「三日月蹴り」。めちゃ痛そう笑。
格闘技も、自分にフォーカスして「試合に勝つためにトレーニングをする」競技、とすればスポーツではあるのだが、試合の目的はやはり「相手を破壊すること」なので。少なくとも起源はそれだろう。
しかし井上はボクシングを完全に「スポーツ」としていて、それを公言している。那須川も然り、「喧嘩は好きじゃない」「人前で人を殴るなんて本当は嫌」というようなことを言っていて、それが嘘くさく感じない。二人とも爽やかで、開けっぴろげな感。大学とか行っていたら、ちゃんと明るいキャンパスライフを送れそうな笑。
ボクシングはスポーツ、それはそうなのだが、やはり球技とかとは違う何かを求められている気がする、がそれは時代遅れの感覚なのか。ちなみに自分は何年か前から、ボクシング以外の格闘技を観なくなった。辛くなってしまうので。ボクシングも恐いと言えば恐い。井上や中谷が引退したら、ボクシングも観なくなるかもしれない。
