トーキングドッグ -2ページ目

楽器を奏でる人。

ザ・なつやすみバンドが活動休止になったのは三年半くらい前か。その後しばらく、ドラムの村野瑞希嬢のSNSは音沙汰がなく、このまま音楽を止めてしまうこともあるかもなぁと思い、それはもったいない、しオレが寂しい笑となっていたところで、三鷹の「おんがくのじかん」というところでのライブに参加することを知り、嬉しかったのよね。音楽を続けるのは大変であることはそれなりにわかるから、続けてほしいなどと軽い気持ちでは言えず、我々リスナーはなるべくライブに足を運び、作品を聴くしかない。


と言った早々に、その三鷹のライブには行けなかったのだけど笑、配信チケットは買って観て。以来、東京近郊のライブは結構な割合で行って、そこには多彩な音楽があり、いろいろ面白い体験ができて、自分の世界も広がった。




2016年のドラマガ。

載ってます。

2016年の時は紀伊国屋書店で立ち読みして済ませてしまったのだが笑、その、2022年暮れの小さな喜びに触発されて「こんな記事あったなぁ」と思い出し、バックナンバーを古本で購入。

「音楽をやっていることが生きていることそのもの、というふうになりたい」
立ち読み後帰宅してからメモった笑。

「宇宙の星は無限にあります。ドラムの音も、その一瞬一瞬で違います。ドラムは宇宙と同じです」
ドラムが叩ける人、楽器ができる人は、音楽の聴こえ方が違うのだろうし、世界の見え方が違うのだろうと思う。

昔、ハマ・オカモト氏がラジオで「音楽を聴くのが好きな人は、楽器を自分でもやってみればいい。聴くのが一億倍楽しくなるから」と言っていて、それはこの「違い」について言っているのだろうなと。しかし時間と気力がね。リソースがない笑。



ちなみにこの号のドラマガには、今や重鎮であられる神谷洵平氏の記事も。
音楽を聴くのは好きだけど、ライブに行く習慣はなかった時、私の認識は「ドラムって一定のリズム刻んでいるだけでしょ」くらいのもので。しかし神谷洵平が私の前に現れたことでそれは一変する。

今でも覚えている。あれは15年くらい前か、今はなき原宿VACANTにて、コトリンゴの『picnic album 1』のリリース記念ライブで、コトリンゴが「逆ナンした」と言って連れてきたドラマーが神谷くんで。一見して「少年?」と思い笑、開演ギリギリに会場に着いた私は、演者を真横から見る席に座っていて、神谷くん越しにコトリンゴを見る形になり、「いや、ちょ、見えない…。この人すっごい動くし」となる笑。しかしドラマーにも個性があることを知り、音楽の聴こえ方が変わり、それは世界の認識の仕方が少し変わったということである。



長くなった…。とりあえず晩飯。

戦争の時代②

「スパイなんて◯刑でいいだろw」、「犯罪者に人権なんていらない」、「外国人に人権なんて必要ないw」などとやっていくうちに、為政者以外の国民全員の人権が奪われるという、こんな分かりやすい手口にだまされる人なんていても数人だろ、などと思っていたら、意外とたくさんいるらしい。世間知らずの私。勉強します。日本人危ういな。




差別をする人間は、最終的には自分以外の全ての存在を差別しうる。


差別意識は「仲間意識」と同根であり、人間の本能によるので、誰もが持ちうるもの。やはりそこで自覚ができるかどうかが知性の分かれ目。

戦争の時代。

選挙までに消費税や「多様性」等について書こうと思っていたが例によって書けていなく、しかし自民党が圧勝するという見通しを知りそれどころではなくなった感。




立憲民主党の現党首・野田佳彦氏が選出された党首選、どのくらいの効力があったのかわからないが私も投票権を持っていて、まず勝てないのはわかりつつ、意思表示の意味を込めて名前も知らなかった女性候補に投票、まあさすがに枝野さんかなと思っていたら野田氏の勝利。「戦犯」の再登板の意味が分からず、メディアの解説を待ったが見当たらず。あってもおそらく「元首相の実績」等、単にお茶を濁すためのものだったろう。


今回、自民党の圧勝という訳のわからない結果となるなら、分岐点の一つはこの時であろう。「二度目の敗戦」となって、野田氏はどう責任を取るのか。敗戦後しれっと大政翼賛会に参加するのか。武士の時代だったら切腹だが、お腹は二つない笑。他国だったら◯されてもおかしくはない。


「分岐点」というのはマスコミのことでもあり、こちらは野田勝利にどのような力学が働いているのか知りたいのだが、応えてくれない。全ては裏でつながっていて、大きな流れには誰も逆らえない感覚。野田氏本人に責任感はなさそうで、こちらもそれで仕方ないかと思ってしまう。「個の意識が足りない」とはこういうことだ。結局は全員の責任。


本当に命懸けでやっている人は極々僅か。