- 人は忍耐で強くなるが、
解放で強くなることもある -
by ヘルマン・ヘッセ
家庭内での介護は、想像を絶するほど大変な場合がある。
たとえ家族が何人いても、ある特定の誰かに
その負担がのしかかることも稀ではない。
私のクライアントは50代の有職主婦。
フルタイムの管理職の仕事が有り、
3人の子供を持つ彼女は
長男のうつ病、次男の交友関係、
末娘の登校拒否など
家族の問題にも枚挙のいとまがない。
いつも何かしらの不安と戦っていた。
そしてさらに義父の介護のため、
週末は車で1時間を費やし夫の実家通いもしていた。
- 心の休まるヒマが無い-
そんな矢先、一回り年上の夫が末期がんとなった。
余命宣告日を過ぎ、
いつその日が来てもおかしくないと
担当医に告げられている。
夫は最期は自宅で迎えたいと言う。
しかし彼女にはそんな余裕が無い。
日々の生活で疲弊し、今にも倒れそうだという。
できればこのまま病院にいて欲しい・・・
そんな言葉を飲みこんでいたに違いない。
そして彼女は私に訊いた。
夫の最期は自宅で迎えさせなければいけないか?
自分が夫の最期の願いを聞き入れないことは罪になるか?
私は薄情で、自分のことしか考えない非常な人間か?
妻として、人として、してはいけないことか?
ギリギリだった。
彼女は私に許しを乞っていた。
私という「世間」に、許しを乞っていた。
彼女は夫の死後抱えるであろう
罪悪感と後悔を怖れていた。
押しつぶされそうな「感情」と
戦っていた。
だから誰かの許しが必要だった。
自分以外の「誰か」からの。
あなたなら、どう答えますか?
どう言って欲しいと思いますか?
K