超~むかし 学生のころ
わたしがアホなのか バカなのか
まだ見きわめできないころ
集団で ボストンとかに居て
自由時間があり
みんな ほとんどが「ボストン美術館」に行くなか
わたしは何故か
「John. F. Kennedy Musium」(ジョンFケネディミュージアム)に行きました。
どこかに そこのパンフレットのようなものはあると思うけど
英語の展示ばっかりで な~んも覚えてないです。
ただ 海っぺりにその施設は建っていて
デッキでの風景はなんとなく覚えてます。
どういう人だったのか よく解らず
マリリン・モンローとなんとか・・・くらいしか知らず
ずいぶん前に 小野寺愛さん という方のブログで
どういう人だったのか の 一面を知りました。
携帯だと見にくいかもなので 抜粋転載させていただきます。
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GNP、GDPとは何か。
ロバート・ケネディのことば (弟さんです)
(1968年3月18日、大統領選に向けてのキャンペーンスピーチより)
あまりにも長い間、
私たちは人格や共同体の重要さよりも、
物質的な富を蓄積することをはるかに優先させてきた。
今や8千億ドルを超えたアメリカのGNPだが、
その中には、空気汚染や、タバコの広告や、
ハイウェイでの多数の事故死者を運ぶ救急車が含まれている。
家を守るための特殊な鍵、
それを破って侵入する犯罪者たちを収容するための牢屋もGNPのうちだ。
巨木の立ち並ぶレッドウッド原生林の破壊、
美しい自然を呑み込んでゆく都市化の波も、GNPを押しあげる。
戦争で使われるナパーム弾も、 核弾頭も、街頭のデモ隊を蹴散らす警察の装甲車も。
ウィットマン社製のライフルもスペック社製のナイフも、
子どもたちにおもちゃを売るために暴力を礼賛するテレビ番組も。
しかし、そのGNPの中には、
子どもたちの健康も、教育の質も、遊びの楽しさも含まれていない。
そこには詩の美しさも、夫婦の絆の強さも、
政治における知的な議論も、役人たちの誠実さも、勘定されない。
私たちの機知も勇気も、知識も、学びも。
私たち一人ひとりの慈悲深さも、国への献身的な態度も。
要するにこういうことだ。
国の富を測るはずのGNPからは、 私たちの生きがいのすべてがすっぽり抜け落ちている。
GNPはアメリカという国について物語っている。
ただし、私たちが誇りに思っていることを除いて。
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平和のための戦略(THE STRATEGY OF PEACE)
ジョン・F・ケネディのことば
(キューバ危機が去った1963年6月10日、アメリカン大学の卒業式にて)
私の言う平和とは何か?
我々が求める平和とは何か?
それはアメリカの戦争兵器によって世界に強制される『パックス・アメリカーナ』ではない。
そして墓場の平和でもなければ奴隷の安全性でもない。
(中略)
我々のもっとも基本的なつながりは、
我々全てがこの小さな惑星に住んでいることである。
我々はみな同じ空気を呼吸している。
我々はみな子供たちの将来を案じている。
そして我々はみな死すべき運命にある。
(中略)
我々の基本的、長期的なジュネーブでの関心は全面的かつ完全な軍縮である。
この軍縮は段階的に行われるよう計画され、
平行した政治的な進展が兵器に取って代わる新たな平和機構を設立することを可能にする。