川のふちに女性スタッフが待っていた。
「ここを渡ってしばらく進んで左に曲がれば、もうゴールよ」。今日聞いた言葉の中でこれほどうれしいものはない。
残る距離は約1km。ようやく長かった1日の終着駅が見えてきた。
感慨に浸りかけたその瞬間、隣の人影が動き出していた。スタッフの言葉を聞くや、セルゲイがすかさず走り出していたのだ。
感慨に浸りかけたその瞬間、隣の人影が動き出していた。スタッフの言葉を聞くや、セルゲイがすかさず走り出していたのだ。
日露同盟が一方的に解消されてしまった。レースなのだから仕方ないとはいえ、せめて一言告げてくれればいいのに。
僕は遅れて反応したことに加え、痛めた右膝が思うように動かずに差を付けられた。
ここまで一緒にきたのはなんだったのだ。文句の一つも言いたいが、とりあえずゴールしてからだ。
女性スタッフに見送られ、暗がりの川に飛び込んで泳ぐ。夜の闇が塗り込められたかのように水面が黒い。遅れを取り戻そうと、水をかく手に力が入る。午前2時を過ぎて水温は下がっているはずだが、水の冷たさも暗さも気にならない。
ずぶ濡れのままビーチに上がる。一歩ごとに靴から水があふれ出る。プシュッ、プシュッと音をたてるシューズ。服からはしずくがダラダラと垂れているが、シャツを絞る時間すら惜しい。水をしたたらせながらセルゲイの後を追った。
セルゲイへの怒りを原動力に、差を詰めてぴたりと真後ろについた。そのまま抜き去ろうと考えたが思いとどまる。セルゲイはまだ余力を残しているかもしれない。早めのスパートで抜いたはいいものの、最後にかわされては意味がない。ゴール直前まで我慢して最後にかわすしかない。
ラストスパートのタイミングを図りながら最後のカーブを曲がる。この先で勝負をかけよう。仕掛ける瞬間を見計らい、ぐっと緊張が高まる。
が、しばらく走ってもゴールが見当たらない。人の気配すらない。どうやら2人そろって道を間違えたようだ。カーブの手前で右に折れる小道があった。そこがコースなのだろうか。土壇場に来て、しまりのない展開だ。慌てて引き返す。
セルゲイの後ろにいた僕は何の苦労もなく逆転に成功。今度は一転して追われる番になり、カーブの手前まで戻る。
ここに来て悩む。走って来た道を戻るのも選択肢のひとつだからである。小道に入っても正解とは限らない。どちらに進むべきか。どちらかがゴールに近づき、もう一方は遠ざかることになる。後ろから近づくセルゲイの足音が、高鳴る心音とリンクする。悩んでいるヒマはない。
僕は小道へ、セルゲイは走ってきた道に引き返す形で進路を取った。後ろは気になるが、振り返る余裕もない。左前方で何かがきらりと光る。目を凝らすまでもない。最後の目的地を知らせるカラーテープだった。小さな道が森の中へと続いていた。
「セルゲイ、こっちだ」考える前に叫んだ。
出し抜かれて腹を立てたのは確かだが、同じ場所を目指して走ってきた仲間なのだ。ささいな感情よりも、勝ち負けよりも、ゴールの喜びを一緒に分かち合いたかった。
木陰の向こうに白い帯が宙に浮いていた。ゴールを知らせる横断幕だ。走って来た距離に比べて最後はあまりに唐突だ。長旅を振り返り、回想に浸る時間もない。心の準備が間に合わないまま、スタッフの待つゴールに飛び込んだ。
木陰の向こうに白い帯が宙に浮いていた。ゴールを知らせる横断幕だ。走って来た距離に比べて最後はあまりに唐突だ。長旅を振り返り、回想に浸る時間もない。心の準備が間に合わないまま、スタッフの待つゴールに飛び込んだ。
何か叫んでいたらしいが、全く覚えていない。いつの間にか仰向けに寝転んでいた。全身が砂まみれ。不快感はなく、ひんやりとした砂が心地いい。ただ、不思議と達成感は湧いてこない。まだ最終日が残っているからだろうか。走り終えてもまだ実感がなかった。
横になったまま呼吸を整える。スタッフがそっと隣に立っていた。
横になったまま呼吸を整える。スタッフがそっと隣に立っていた。
「けがはないか。早く休んだ方がいい」手を差し出し、僕を現実に引き戻してくれた。
上体をゆっくり起こすと、腰が急激に痛み出した。長丁場で張り詰めていた緊張が緩んだせいだ。
上体をゆっくり起こすと、腰が急激に痛み出した。長丁場で張り詰めていた緊張が緩んだせいだ。
腰だけでなく、油が切れたように全身の動きもぎこちない。膝が震えて立ち上がるだけでも一苦労だ。砂浜に投げ捨ててきたバックパックを、時間をかけて拾い上げる。
背中になじんだはずの重量が、やけに重い。不意に感慨が湧き上がる。もっとも過酷なロングステージを走り切ったんだ。走り終えた充実感がようやく込み上げてきた。
背中になじんだはずの重量が、やけに重い。不意に感慨が湧き上がる。もっとも過酷なロングステージを走り切ったんだ。走り終えた充実感がようやく込み上げてきた。