ジャングル記22 走れども無間ビーチ | ジャングルを走ってみた

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5㌔先の最後のチェックポイントを目指し、トップスピードで丘を越える。動き出しこそ水ぶくれの痛みが残っていたが、いったん勢いがつくと気にならなくなった。汗が額を伝って流れ落ちてくる。拭うことすら億劫だ。流れるままに任せる。
一度は追うことを諦めかけたジョシーとエイミーを視界に捉えた。徐々に2人の姿が大きくなる。足音が聞こえるまでに距離を縮め、息遣いが分かるほどに接近。そこで並ぶことなく一気に抜き去った。追いつけるとは思っていなかったが、彼女たちにしてもよほど予想外だったのか、「オー」と驚いていた。さらに何か話しかけてくれたが、よく聞き取れない。聞き返そうにも呼吸が苦しくてとても話せそうにない。声のトーンからすると、エールを送ってくれたようだ。分からないなりに、返事の代わりに右手でこぶしをつくり、親指を立てた。また後ろから声がする。「グッドラック」。最後の言葉はなんとか聞き取れた。
 
最終チェックポイントは休憩せずに通過。道なりに平坦な林道が続く。光を遮る木々の黒いシルエットが視界から後方に流れていく。木々のシルエットが急に消え、目の前が開けた。元が粒子の細かい砂に変わり、そこが川の近く、ビーチだとようやく分かった。
 
そう思って目を凝らすと、左手に大河が見えた。月光を浴びて水面がかすかに煌めいている。浜辺には細い木が控えめに生えている。見通しのよさは林道と比べようもないが、代わりに目印となるテープを探すのが難しくなった。結わえる木が少ないので、テープの間隔が数十㍍、数百㍍おきに広がったのだ。
同じような距離に数本生えている場合、1本目で見つけられないと、いちいち1本ずつ確かめに行かなければならない。加えて木の葉が月明かりを遮り、枝に結わえられたテープの存在を隠す。定期的に目印を確認すればいいだけの一本道の林よりも見つけにくい。
 
浜辺の方が見通しはいいのに、視界の狭い林道よりも骨が折れる。たどるべき道が分からないのは心理的にきつい。もっとも探し当てたときの喜びも大きいから勘定は差し引きゼロなのだが。
 
砂を跳ね上げながら目印を探していると太もも、ふくらはぎが重くなる。疲労の溜まりきった最終盤、砂浜は足への負荷がひと際大きい。
しばらくは無灯火で進んでいたものの、タイムロスが目立ってきた。秘密兵器、電池を節約してきたヘッドライトをフル活用。首を振って惜しみなく照らす。それでも数㍍まで近寄らないと目印を発見できないこともあった。
 
文明の利器を使ったことでテープ探しのヒントを発見した。ヘッドライトで足元を照らす。すると、ランニングシューズの足跡がいくつか刻まれていた。走りながら歩幅を確認する。僕と同じか、すこし広い。先行するランナーのものとみて間違いなさそうだ。後をたどれば目印が探しやすくなった。もっとも、その選手が道に迷っていた場合は僕も迷うことになるので過信はできない。この方法は早々に諦めたが、しんどい思いをして走っている選手がほかにもいる。そう考えると勇気づけられた。

延々とビーチが続く。残り5㌔のはずが、1時間近く走ってもゴールが近づいている気配すらない。無間地獄のような砂浜だ。さすがにチェックポイント間の距離を測り間違っているのではないか。
 
後日談では、シャーリーがタクシーでの移動中に距離を測ってもらったところ、コース説明に記載されていたチェックポイント間の距離よりも2.5㌔長かったという。それを聞いた彼女は「だいたい一緒ね」と満足していたらしい。ジャングル式の測量ではほぼ同じなのだろう。

たかだか数㌔。全長250㌔を走るのだから多少ずれても大差ない。という考えなのだろうが、そんなことはない。地図が用意されていないので、選手は疲労度と時間で次の目的地にどれだけ近づいたのか見当をつける。近づいていると感じたときは、「あの木の向こうには」「次の茂みの先こそは」と淡い期待を抱きながらチェックポイント、そしてゴールを目指す。

ゴールが近づくにつれ、当然のごとく疲労、肉体への負担は重くなる。そんな中、ぎりぎりの状態で精神力を振り絞って推進力に変えるのだ。心身をすり減らした終盤での2㌔は誤差の範疇ではなく、10㌔以上にも等しい距離に感じられる。

とはいえ、この時はそんなことを知るよしもない。
大詰めを迎えてもなお、初日から続くアバウトな距離設定は変わることがなかった。