キャンプ地にあちこちで明かりがともる。
4日目のステージを終え、翌日からのロングステージのミーティングが行われた。
2日間かけて行われるロングステージはなんと140km。
コースレイアウトの説明も終わり、散会したかに見えたが、一波乱が待っていた。
ここまで1位のポルトガル人カルロスや数人のブラジル人選手がシャーリーに詰め寄った。
険しい表情のまま、各選手が代わる代わるシャーリーに言葉をぶつける。
初日にコースのきつさに不満をぶつけていた選手たちとは違い、張り詰めた緊張感が伝わってくる。
彼らはコースの変更を求めていた。
早朝4時の出発直後に200mの川を渡ること、そしてコース中盤にある原生林を駆け抜けることの2点。
理由は、まだ陽の昇る気配すらない暗闇の中、川を泳ぐのは危険すぎる。その時間帯に活動しているワニ、ヘビに襲われる可能性が高くなるという。
原生林エリアは他の密林と比べても、人の手が入っていないため、ジャガーや毒ヘビに遭遇する危険性が大きいからだ。
コースの安全性が担保されていないまま走ることはできない。要望が聞き入れられないのであれば、リタイヤすると主張していた。
カルロスたちがシャーリーを取り囲み、変更するよう抗議を続けた。
筋肉隆々の男たちに囲まれて、彼女の頭すら見えなくなった。
それでも彼女の声のトーンに変わりはなく、張りのあるまま。一歩も引かない度胸は並大抵ではない。200人以上のスタッフをまとめ上げるリーダーシップは伊達じゃない。
5分、10分と長引いた話し合いは物別れに終わり、選手たちが首を横に振り引き上げていった。
トップを走るカルロスら4選手がリタイヤするつもりだった。「みんなもどうするのか、自分の意思で考えたほうがいい」。忠告された。
ジャガーとのニアミス、ハチや淡水エイの襲撃など、ここまでの4日間、危ないこともあったが、心のどこかである程度は安全性が保たれていると信じていた。
それは、何度もアドベンチャーレースに挑んできたランナーたちが冷静に、時に笑顔で走っていたから。
そんな選手たちが必死に変更を促し、果てはリタイヤを口にする。明らかな異常事態だった。
この後、シャーリーからコースのショートカットが告げられた。140㌔のコースが35㌔短縮された。けれど、コース内容に関する変更は、なかった。
要望は聞き入れられなかった。ジャングルに来て本当の恐怖を感じ、心が揺れる。見たこともない風景を見るためだけに死を覚悟できるのか、不確かな情報、万が一のリスクにおびえて棄権してもいいのか。自問自答しても答えは出ない。
覚悟を決めてブラジルにやって来たつもりだったが、一瞬にして崩れ落ちた。
死んだら多少は悲しんでくれる人がいるだろうか。いても悲しいし、いなくても僕自身が悲しくなる。まあ、いずれにしても死にたくはない。
チームAHOの4人とも話し合うが、考えがまとまらない。次第に口数が減り、無言の時間が長くなる。沈黙を破ったのはマルさん。
「地元の人に聞いてみようか」
ポルトガル語の堪能なマルさんなら、危険性を指摘された地点の実情が分かる。語学ができるって素晴らしい。
そもそも、こんな時こそ元記者として基本に立ち返るべきだった。
複数の情報を照らし合わせて裏を取る。
一方向からの伝聞だけで何が正しいのかを判断していては、足をすくわれてしまう。
痛い目に遭ってきたので、それだけは情報源が僕だけでも間違いない。
幾度となく失敗してきても、こういう時に生かせないのだから訳がない。
村の住人にして国立公園の職員でもある女性に、マルさんが尋ねる。
熱心に話してくれた内容を、ところどころ区切って翻訳してもらう。最初はスタート直後の川渡り。
「夜でも安全よ。危険な動物なんていないし、そうじゃなかったら川の近くに誰も住まないわ」
言われてみればその通りだ。
川渡りはキャンプ地の村のすぐそばで行われる。
風呂、プールを兼用する村人ご用達の川だ。
おちおち入っていられないならば、誰が住むというのだ。
スタッフの小船からの照明灯に頼るほかないので暗いのが難点だが、川はまずまず安全そうだ。
原生林に関しては「暗くならなければ大丈夫」と条件付きだった。
森の中が危険なことに変わりはないが、もやもやとしていた気持ちが晴れていく。
ようやく腹が決まった。走り続けよう。
思い返せば、リタイヤを言い出したカルロスやブラジル人選手は、ココナッツ事件での対応を巡って運営側への不信感を抱いていた。
シャーリーにしても、ココナッツを飲んだ選手に対して厳しい態度を崩さない。
それがすべてだとは思わないが、両者ともに感情的になり、ぶつかり合う下地はあったのだ。
互いに意地を張り合い、話し合いが平行線をたどったとしても何ら不思議ではない。人騒がせな出来事だったが、改めてジャングルを走り抜く覚悟が強まった。