ジャングル記11 恋はあせらず | ジャングルを走ってみた

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チリでのネット環境がいまいちで、結局帰国して一段落するまで更新できずでした。すいません。
アタカマでの日々はまた後日ということで、ジャングルマラソン4日目です。



夜明け前の午前4時。真っ暗闇だ。
この日は、フルマラソン。舗装路ではなく、ジャングルの中を、だ。
前日から距離が10㌔以上伸び、必然的にスタートも前倒し。起床時間が大幅に早まった。

片付けから、食事、ウォーミングアップまで朝は忙しい。
スタート3時間前には多くの選手が起床して準備を進める。
夜明け前に起きるのは苦にならない。
日が暮れるはじめると手持無沙汰になり、大半の時間をハンモックで過ごすことになる。
外に出ていると、ライトの電池がもったいないので、こもりきり。
疲れも手伝って、すぐに眠れる。結果、早起きになるという1日のサイクルができあがっていたからだ。

加えて、寒さが目覚まし代わりになった。
湿度の高いジャングルでは気温の下がる深夜、湿気がまとわりつき体温が奪われる。
体を冷やさないように、僕は保温用のシートを毛布代わりに使っていた。
防寒用には効果的だが、湿気がシートの内側にこもってしまう。
結局、体が濡れて寒くなり、毎日午前3時ごろには震えながら目を覚ましていた。

今朝も夜明け前に目を覚まし、ごそごそとハンモックから抜け出す。
シートを一緒に引っ張り出し、体に巻きつけて空を見上げる。
宝石箱からこぼれ落ちたように、無数の星々が一面にあふれている。
時間がたつのを忘れて立ち尽くした。

夜空との境目が溶け、闇に包まれた森。静けさを破り、猿や鳥のオーケストラが演奏を始めた。一群の鳴き声が森全体に共鳴していく。新しい朝を祝福するかのようだった。


スタート地点の広場で、ジャンプを繰り返して体を温める。
4日目ともなると気持ちに余裕が出てきた。リラックスして体を動かし、スタートを待つ。

「行けるところまで付いて行くけど、遅れても私のことは待たないでね」

若い女性の声にどきりとする。後ろを振り向くと、中国系アメリカ人女性のリーが控えめな微笑みを浮かべていた。
きれいに切りそろえられたショートカットに笑顔がよく似合う。
彼女はこの日のフルマラソンを走る1日部門のランナー。
2日前から現地入りしていて、キャンプ地で話をするうちに仲良くなった。

サンパウロでアメリカ資本の銀行に勤める彼女は、せっかくのブラジル勤務なのだからジャングルに行ってみようと出場を決めた。小柄でおとなしそうに見えて実はアクティブなのだ。

街中のこじゃれたカフェじゃなくても、話は弾む。
日本文化の話題になり、作家では村上春樹が好きだという。
英訳され、フルマラソンでの体験や走ることについて記した著書「走ることについて語るときに僕の語ること」が彼女のお気に入りだ。
僕が新聞記者をしていたと知り、「こんな過酷なジャングルを走ってるんだから、村上春樹よりもすごい作品が書けるよ。大会が終わったら絶対に書かなきゃ」とはしゃいでいた。
マラソンの話題になったことで、彼女から「一緒に走ろう」と誘われた。
一緒に登校しようと待ち合わせる高校生カップルのようで、ちょっと照れくさい。
もっとも、そんな経験は高校時代に1度たりともなかった。
ジャングルで淡い恋のシチュエーションを体験できるとは、当時の僕には思いつくまい。

「一緒に行こう」
笑顔を返してリーと並んでスタート。
僕が前に出てペースをつくる。
第1チェックポイントまでは断続的に上り坂が続く。
時々後ろが気になって振り返ると、リーはぴったりと付いてくる。
「足手まといになるかも」と言っていたが、なんのことはない。
1日参加の彼女は背中のバックパックが一回り小さく、足取りが軽やかだ。


女の子を意識して、いいところを見せたいと思うのはいくつになっても変わらない。抜かれないように張り切っていた。初日からずっと見られていたらトップを狙えたに違いない。
道を間違えないように目印のテープを探す視線も鋭くなる。かっこ悪いところは見せられない。われながら現金だと思うが、男の性なので仕方ない。

最初のチェックポイントで、水の補給を済ませると休まずに出発。
隣接する川を泳いで渡り、沼地を越える。ばちゃ、ばちゃ。いつもより余計に水しぶきを跳ね上げる。水音で気づかなかったが、背後の足音が絶えている。リーの姿が消えていた。
どこかでペースを落としたのだろうか。せめて一声掛けてほしかった。
いいさ、もともと一人で走ってきたんだから。
というのは強がりで、なんだか振られたような気持ちになる。
さらば、距離にして10km足らずの恋。

と、僕が一人合点していたころ、彼女はチェックポイントに留まっていた。
1日参加の選手は、初日、2日目の僕たちと同じように、休憩が義務付けられていたのだ。
なんのことはない、僕がチェックポイントでリーを置き去りにしたのだった。
勘の鈍い男では街中でもジャングルでも、なかなかうまくいかない。