夜明け前に目が覚めた。初日の疲れはほとんどなく、寝覚めもいい。疲労が残らなかったのは、各チェックポイントで15分間の休憩時間があったからだ。毎年、ジャングルに慣れていないのに無理をしてリタイヤする選手が後を絶たないため、主催者側が2日目まで全選手に休憩を義務付けたのだ。
チェックポイントで休んでいる選手を抜くことができず、体力が回復するので差をつけにくい。ペースをつかんできたところでインターバルを取るのもじれったかった。初日に続き、この日も強制休憩があるのでのんびり行くことにした。
初日ほどアップダウンはきつくない。それでも登山道のような急勾配が多い。さらに前日のスコールのせいで、低地は落ち葉だらけの地面がぬかるんでいた。一歩踏み出すごとに足が沈み込む。構わずに進んでいると、膝下が泥まみれになった。これでもただの平地なのだ。沼地はさらにぬかるみが深いはずだ。先が思いやられる。
泥地に黄土色の水が浮いている。誰かに聞くまでもなく沼地と分かる。川よりも透明度は低い。辺りの木々は水面下だと幹すら見えない。足を踏み入れるまで何も分からない。
水の濁り具合は本能的な気持ち悪さに結びつく。
小さい頃に白く濁った海で遊んでいて、海藻が足にまとわりつきパニックになった。その恐怖体験が脳裏によみがえる。初日はJ・Jのおかげで助かったが、この日は一人きり。どうしたものか。
入るのは極力避けたいが、迂回すると大幅な遠回りになる。覚悟を決め、恐る恐る足を沈める。膝まで水に浸かり、ひんやりとした泥が足にまとわりつく。靴の中にも侵入してきた。早く抜け出したくて焦ると、余計に深みにはまる。身もだえする。さらに沈み込む悪循環。背筋に悪寒が走る。距離にすると数百㍍に過ぎない区間だが、抜け出すだけで精神的にへとへとだった。離婚騒動なんかで「泥沼」と形容する意味を、身をもって知った。入り込んだが最後、進むも戻るもろくなものではない。
それ以降の沼地では、木の根っこなど足場を探して慎重に進むようになったのは言うまでもない。
道路標識のないジャングルでは、長さ20㌢前後のカラーテープが唯一の目印だ。赤、青など数色のテープがランダムに使われていて、数㍍ごとに木にくくり付けられている。視界に入る間隔なのだが、植物の生い茂るジャングルで探すのはとても骨が折れる。まだ慣れていないせいか、一人で走っていると、何度もテープを見失う。四方を見渡しても、どこも同じに見える。そのままヤマ勘で進み続けるのは自殺行為だ。本格的に道に迷うと帰るのは不可能に近い。直前に目印を見た地点まで戻り、辺りをうろうろして次の目印を探さなくてはいけない。
あろうことか緑色のテープ目印に入り混じっているから大変だ。緑色は完全に森と同化する。目の前までいかないと木の葉と区別がつかない。ジャングル版「ウォーリーを探せ」のようだった。膨大な数のテープを設置してくれたスタッフには感謝するが、それでも緑色のテープに関してはどうかしているとしか思えない。
沼地や緑色のテープと格闘を繰り広げながらゴール。前日より1㌔長いコースで1時間以上タイムを短縮できた。ジャングルに体が慣れてきた証拠だ。手ごたえを感じて気をよくしたまま、原住民の村の外れでキャンプ。洗濯を終えて引き返す。川べりの砂浜で子どもたちが男女混合でサッカーをしていた。1チーム8人の試合だ。
レースに備えて体力を温存しないといけない。そう分かっていても、元サッカー少年の血がうずく。1試合だけなら大丈夫だろう。酒飲みのような言い訳をしながら仲間に加わる。
子どもたちと一緒に素足で駆け回る。土のコートと違って細かい砂に足が取られ、走るだけでも一苦労。物珍しい日本人にパスが集まる。ボールを回してくれるのはありがたいが、そのたびにダッシュを繰り返すはめになった。疲れを残さないつもりが、息が上がるまで走り続けた。試合を終えて帰ろうとすると、次の試合も出てくれと腕を引っ張られる。「もう少しだけ」が長引く。たちの悪い飲み会に近い。捕まったが最後。諦めるしかない。3試合をこなしたところでようやく解放してもらえた。
体についた砂を落とそうと、またタパジョス川へ。太陽が水平線に交わろうとしていた。黄金色に輝く太陽。そよ風に川面が揺らめき、きらきらと光を反射する。波が音もなく砂浜に打ち寄せる。背中からは、まだボールを追いかける子どもたちの歓声が聞こえる。生活する人たちにとっては何気ない日常にすぎない。もっとも遠い日本から来た僕には得がたいものに思えた。自然と人の営み。調和を感じて体だけでなく心も洗われた。
夜には、おなじみのコース説明。初日に噴出した選手の不満によって、後半戦の長丁場に備えるという理由で、3日目のコースが35㌔から5㌔短縮された。誰かが指笛を鳴らして歓迎する。4日目にはフルマラソン、その後に140 ㌔のロングステージが控えているのだから無理もない。
大会期間中にも関わらずコース変更が可能という臨機応変ぶりに驚かされる。理由が自然災害ではなく、一部からのクレームなのだから面白い。日本でもこんな対応を取るのだろうかと考えてみたが、取らないだろう。何が起こるかわからないジャングルマラソン。おおらかに構えておくのが一番だ。