決断と判断は違うという言葉に出会った。
言われてみればそうだなと思う。
判断は過去データなどを参照しながら下すけれど、決断は、全く新しいことをしようとすることで、過去のデータがない中で決めていく。
自分でも決断する場面が多々ある。
決断する際に、他の人はどうしていたのか、何か確からしいデータはないのかと探したりするが、状況も環境も違うので、実は大して参考にならない。
特に個人的なこと、自分事になっていることは、判断ではなく決断を要する。
仕事を辞める、新しい仕事を始める、誰かと一緒になる、別れる、と言ったことも自分の決断であって、過去のデータもないし、何が正解かも分からない。
そうした時には自分の「勘」を頼る事になる。
勘が当たることもあれば、外れることもある。
ただ、いつまでも判断だけをしていると、決断の際の勘は鈍るのだろう。
ましてや判断すらしないということもある。
過去のデータもある程度は揃っているのに、判断を留保するということもある。
そもそも過去のデータを取りにいくことすらしない。
判断が違っていれば、過去のデータに原因を求めることができるし、判断ミスの責任を誰かに押し付けることもできるかもしれない。
でも、決断は自分の「勘」の占めるウェイトが大きいから、誰かのせいにできない。
だから、決断を渋ってしまう。
だけれど、決断をしなければ、不機嫌なままの一生を送る事になりそうだ。
不機嫌で済めばまだ良くて、心身を壊すまでに至るかもしれない。
自分の身を守るためにも、「決断」を意識していきたい、そう思ったのです。