自動車の馬力は回転数×トルクで算出される。
馬力が一定の場合、回転数を上げるとトルクが下がるし、回転数を下げるとトルクは上がる。
トルクは力強さを表している。
早口で話す言葉は情報量は多いかもしれないけれど、力強さに欠けるからあまり残らない。
ゆっくり話された言葉の方が、情報量としては少なくても、心に響いて、後々まで残ったりする。
頭の回転が早いほうが物事もスピーディだし、多くのことを処理することができるけれど、処理してそれでおしまいで、ただ進むだけだったりする。
効率は良いのかもしれないけれど、新しい発想は起きない。
マラソンの距離である42.195キロを足で走る場合には、世界記録でも2時間ちょっと掛かるが、自動車で行けば1時間も掛からない。
自動車を用意するのには始めうち時間がかかるし、自動車が発明されるまでにも過去の人々が試行錯誤した。
一方で足で走ることは人類が生まれた頃からやっている。
頭の回転をゆっくりにすることで、自分の頭の中に力強さとか新しい発想も生まれてくる。
頭の処理能力がある程度一定であるならば、回転を速くして処理スピードを上げるのではなく、ゆっくりにして新しい発想とかひらめきにリソースを割いた方がいいような気がしている。
処理スピードの競争はすでに人対人ではなく人対コンピューターになっていて、あらかたコンピューターの方に軍配が上がりつつある。
ならば、むしろ頭の回転をあえてゆっくりにする方が、人類が取る戦略としてはいいんじゃないか。
頭の回転が早いというのは、今の時代にはむしろ足枷になってしまうかもしれない。
頭の回転をあえて落とすということが、今は必要なのかもしれない。
そして、それが人生の質も生き心地の良さを向上させてくれるかもしれない。
そんな気がしているのです。