ちょっとしたコツといったものがある。
そのコツがつかめめないばかりに前に進めない、ということもある。
ゲームをしていても、この先に進めないという時に、ちょっとしたコツがあって、それを使うと難なくクリアできたりする。
そして、自分にとっての一つの難所をクリアした後も大変かというと、そうでもなく、あとはスイスイ進んだりする。
スキルやノウハウばかり集めても結局は上っ面だけになってしまう、もっと内面の在り方を見なきゃと言われるし、実際、その通りだとも思う。
ただ、スキルやノウハウを提供している人たちが、内面を無視しているというわけではない。
自分を見つめるにしてもコツがあるだろうし、瞑想をするにも自分を無にするにもコツはあるはずだ。
何かでちょっと躓いた時、そもそも躓くなんて考えるのはおかしいのだ、自分の在り方に問題があるんだ、もっとポジティブに捉えなければ、となってしまいがちになる。
ただ、そこでこじらせると、「〜しなければならない」「〜すべきだ」という思考に陥りやすい。
そして、頭の中を行ったり来たりするだけになってしまう。
スキルやノウハウはそうした時に抜け出すちょっとしたコツなんだと思う。
あるいはちょっとした発想の転換を促してくれることかもしれない。
別にそれを知っているからといって、偉いわけでもなんでもない。
もちろん、コツを教えてくれた人には敬意は表したい。
どこで躓いたり、どこで立ち往生するのかは分からない。
実は多くの人が躓きそうなところを、無意識のうちに難なくクリアしていて、簡単にクリアできそうなところで立ち往生するなんてこともある。
前に進んでいるという自覚がある分、そうしたところで立ち往生してしまうと、実は自分は全てがダメなんじゃないかと思いがちにもなる。
だからと言ってスキルやノウハウをやみくもに集めるということでもない。
スキルやノウハウは、それが誰にでも有効なわけでもない。
では、どんなスキルやノウハウを学べばいいんだろうか。
そのスキルやノウハウを知った時に、一気に視界が広がるような気がした時には、きっと自分にとって有効なものなんじゃないか。
ちょっとした石ころでせき止められていたものが、少しずらしただけで一気に流れていくような感じだろうか。
最初から石ころを除いていくのではなく、せき止められたら、そこで初めてその石ころだけを取り除く。
取り除くというのではなく、ずらすだけで済むかもしれない。
それには、やはりどこかで躓いて、もがくということがないと、躓いているということにすら気がつかず、ただ、そこで立ち止まり、それでおしまいとなる。
立ち往生し、もがいていて、初めて、その先が開けるようなコツというものも探そうとするだろうし、もがいているからこそ、そのコツも初めて有効になり得るのだと。
どうやら、あれこれノウハウに手を伸ばす前に、まずは一旦もがいてみたほうが良さそうだ。
そうした時、僕らにふさわしいノウハウがやってくるんだと、そう思うのです。
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