断絶を超えて知っている状態に至る。 | 生き心地の良いライフスタイルを目指して(K.TAKUYAのブログ)

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自分の持つ感覚を磨き直し、自分に気づき、生き心地の良さとはなんだろうと探求し、気が付いたことを書き連ねています。

一度知ってしまうと、知らないと言う状態に戻ることはできない。

 

 

自分がそれを知らないと言う状態を想像することもできなくなる。

 

 

専門家が何も知らない人に話すのは難しく、また聞いている方も何を言っているのかさっぱり分からない。

 

 

教える難易度が一番高いのが小学生相手だったりする。

 

 

言わんとしていることが何となく分かるという時は、少し近づいているのかもしれないが、イマイチ掴めていなかったりもする。

 

 

ある種の悟りを得た人が、こう考えればいい、こんな風にしてみたらいいとアドバイスをしてくれるけれど、一度悟りを得てしまうと、きっと悟っていない状態が分からなくなってくるのかもしれない。

 

 

いくら言葉を尽くして説明してくれても、なかなかピンとこなかったりする。

 

 

頭では分かったような気がするけど、肚落ちしていない。

 

 

だから、「でもね」みたいな言葉もついつい出てしまう。

 

 

それで、一度悟りを得た人たちは、この「でもね」という言葉を嫌う。

 

 

知った人と知らない人との間には、そこに大きな断絶があるんだと思う。

 

 

その断絶を僕たちは乗り越えようとして、いろいろな人の体験談や、そこから導かれたメソッドのようなものを、読んだり聞いたりする。

 

 

一度知ってしまうと知らない状態に戻れないということは、知っている状態というのは、知らない状態が分からなくなる、ということかもしれない。

 

 

知らない状態が分からないということは、知ったことが体や心のどこかに刻み付けられた、ということなんじゃないか。

 

 

一度刻み付けられたものは、簡単には消えない。

 

 

肚落ちするというのも、そうした状態だ。

 

 

自分の周りにはあまりにもたくさんの情報が流れていて、それを常に摂取しているけれど、多くのことは忘れてしまう。

 

 

僕らが、様々な本を読んだり、様々なセミナーに行っても、また同じような言葉を探し求めてしまうのは、そこでのことが刻み付けられていないからなんだろう。

 

 

知らない状態から、知る状態に行く間にある断絶を乗り越えるには、刻み付けるということが必要なようだ。

 

 

刻み付けるという行為が、体験を通してかもしれないし、本を読んだだけでもビビッとくるということかもしれない。

 

 

あるいは、誰かの何かの行動を見ただけで、自分の中に刻み付けられるような衝撃が起こることだってある。

 

 

刻み付けた時、僕らは知らない状態から知っている状態に行ける。

 

 

そこに間に横たわる大きな断絶を超える。

 

 

これを次元上昇と言ったりするのかもしれない。

 

 

体験や行動だけが全てではない。

 

 

ただ、知っている状態に行くのには、大きな断絶を超えて行く必要があるんだと、そう思うのです。

 

 

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