一度知ってしまうと、知らないと言う状態に戻ることはできない。
自分がそれを知らないと言う状態を想像することもできなくなる。
専門家が何も知らない人に話すのは難しく、また聞いている方も何を言っているのかさっぱり分からない。
教える難易度が一番高いのが小学生相手だったりする。
言わんとしていることが何となく分かるという時は、少し近づいているのかもしれないが、イマイチ掴めていなかったりもする。
ある種の悟りを得た人が、こう考えればいい、こんな風にしてみたらいいとアドバイスをしてくれるけれど、一度悟りを得てしまうと、きっと悟っていない状態が分からなくなってくるのかもしれない。
いくら言葉を尽くして説明してくれても、なかなかピンとこなかったりする。
頭では分かったような気がするけど、肚落ちしていない。
だから、「でもね」みたいな言葉もついつい出てしまう。
それで、一度悟りを得た人たちは、この「でもね」という言葉を嫌う。
知った人と知らない人との間には、そこに大きな断絶があるんだと思う。
その断絶を僕たちは乗り越えようとして、いろいろな人の体験談や、そこから導かれたメソッドのようなものを、読んだり聞いたりする。
一度知ってしまうと知らない状態に戻れないということは、知っている状態というのは、知らない状態が分からなくなる、ということかもしれない。
知らない状態が分からないということは、知ったことが体や心のどこかに刻み付けられた、ということなんじゃないか。
一度刻み付けられたものは、簡単には消えない。
肚落ちするというのも、そうした状態だ。
自分の周りにはあまりにもたくさんの情報が流れていて、それを常に摂取しているけれど、多くのことは忘れてしまう。
僕らが、様々な本を読んだり、様々なセミナーに行っても、また同じような言葉を探し求めてしまうのは、そこでのことが刻み付けられていないからなんだろう。
知らない状態から、知る状態に行く間にある断絶を乗り越えるには、刻み付けるということが必要なようだ。
刻み付けるという行為が、体験を通してかもしれないし、本を読んだだけでもビビッとくるということかもしれない。
あるいは、誰かの何かの行動を見ただけで、自分の中に刻み付けられるような衝撃が起こることだってある。
刻み付けた時、僕らは知らない状態から知っている状態に行ける。
そこに間に横たわる大きな断絶を超える。
これを次元上昇と言ったりするのかもしれない。
体験や行動だけが全てではない。
ただ、知っている状態に行くのには、大きな断絶を超えて行く必要があるんだと、そう思うのです。
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