矢継ぎ早に繰り出される刺激的なモノを貪って それがシアワセだと感じる人たちが中心の社会 日本国民の幸福度が低いのは…
2024年のG.W.(ゴールデンウィ~ク)は,どんなことをしましたか?
そう問われて,「話題の映画を観にいった」と答える人は,ごく少数でありましょう。
ひと昔前(否,ふた昔か…???)までは,年末年始やG.W.,お盆といった多くの人たちにとって連休となる期間に,その時話題になっている映画を観賞するために,映画館まで出向くことは,ごく普通のことで,かなりの割合の人たちが,そうしていました。
「映画を観ること」ってぇのは,大型連休における定番の「楽しみ方」であったわけです。
そうでありましたから,ひと昔(否,ふた昔か…???)前の阪急電車等の各車両内には,大型連休を当て込んで配給される映画の宣伝(吊り広告)が,バンバン掲げられていたものです。
年末年始には,故・渥美 清さん主演の寅さんシリーズの映画が上映されるっていうのが,お決まりになっていましたね。
嗚呼,懐かすぃ~~~~‼‼‼
アタクシ…,故・松田優作さんにいれ込んでいる人でしたので,角川が製作した優作さん主演の映画作品(『蘇る金狼』・『野獣死すべし』等)の吊り広告を電車内で見て,独りで胸躍らせたりしていましたな~。嗚呼,懐かすぃ~~~~‼‼‼
…ですが,現在,「映画館での映画」というのは,連休における定番からは,思いっきり外れるようになりました。
阪急電車のどの車両内を眺めまわしても,映画に関する宣伝広告なんて見かけることはありません。
だいたいやねェ~(竹村健一風…お若い方々,理解でけてますか?),いまの世の中って,大きく話題になる映画そのものが,とても数少なくなっています。
邦画でいいますと,たまに,アニメーション映画の秀作が,多くの人たちの注目を集めることはありますけんど,その他は,いまいちパッとしません。
洋画においても,全体的には低調な感じです。
映画作品だけではありません。昔は,スクリーンに登場する役者さんだって,誰もが知っているであろう「大俳優」が,少なからず存在していました。
女性でいうと,吉永小百合さん・山本富士子さん・岸 恵子さん・高峰秀子さん・岩下志麻さん・原 節子さん・浅丘ルリ子さん等々(お若い方々,大丈夫ですか???)。
ちょっと前でも,そこそこいてはりました。
そういえば,日本並びに世界のミュージック・シーンについても同様のことが言えるのではないでしょ~か。
たとえば洋楽。
いま活躍している人や集団(バンド等)の中から,クイーンのようなバンドやマイケル・ジャクソンのようなエンタティナーを,ぱっと思い浮かべることはできまへん。
その他のジャンルをみても似たようなことが言えます。
世間から,風情や潤い的なものが,どんどん失せていっている感じがしているのは,アタクシだけなのでしょ~か。
でも,それでも,いまを生きている人たちは,各自でその人なりの楽しみ方をしているはずです。
アタクシが思うに,いまの若い世代は,じっくりと腰を据えて,ある作品の「起承転結」を味わうというスタンスをとるのではなく,おいしいところだけ(=自分が見聞きしたいところだけ・クライマックスとなるシーンだけ・刺激的だと感じるところだけ)を抽出し,短期で次々に拾い食いして,その行為の中から,悦び(喜び)・楽しみ(愉しみ)的なものを見出しているように映ってしまうのです。
おいしいところだけを簡単に選び出して,好きなタイミングでそれを見聞きするツールが,現代にはあります(スマホ等)。
また,YouTubeとか,TikTokとかで配信されている動画には,CGを駆使した映画と同等かそれ以上に刺激的で面白く創られているコンテンツが,非常に多い。
スマホ等でプレイでけるゲームも,「刺激性」という点では,もの凄いものがありそう。
そうであるから,「起承転結」の「起」とか「承」の刺激度が少ない部分は,すっ飛ばして,いきなり「転」や「結」の部分にいってしまう。
映画でいうと,待望の映画が一般公開される日を待ちわびて,いざその日がやってきたら,いそいそと映画館に足を運んで,暗がりの中で,ポップコ~ンなどをポリポリしながら作品が始まるのを待ち,スタートしたら,スクリーンに見入って最初から丁寧に観賞していくというのが,かつての普通のルーティンでありましたが,いまの若い人は,それだけの過程を経ることよりも,自分の手元にあるスマホをチョンチョンと操作して,刺激に満ちた作品の一部を,好きな時に好きなところだけ,何度でも見聞きする方を選ぶということなのでしょう。
エエところに至るまでの過程や,作品の「起」・「承」を楽しむ(愉しむ)という感覚が,減衰しているということでしょうか。
そんな世相もあってか,動画や画像のWeb配信サービスにおいては,人々の感覚をより刺激しそうな奇抜な内容の代物が,矢継ぎ早に提供されている模様です。
過程をスルーするという点では,写真だってそうです。
アタクシが幼少だった頃ってぇのは,フィルム式のカメラで写真の撮影をし,全部の枚数を撮り終えた後,DPEショップにそのフィルムを持っていってました。そして,仕上がった写真は,数日後に目にすることができるというのが,通常のながれでしたね。
…で,手渡された各写真を見てみると,ピンボケのものや,被写体となる人が思いっきり目を瞑っているもの,逆光で被写体が真っ黒になっているもの等々が,いくつか交ざっていることがよくありました。
いまみたいに,撮った直後に出来上がりイメージを確かめることができたり,駄目なイメージはその場で削除できたり…なんていうことは,全く不可能でした。
デジカメやスマホが登場してからは,写真というものの有難みといいますか,稀少性といいますか,そういうものがなくなって,それが持つワクワク度は,随分下がってしまいました。
いろんな方面において,とってもお手軽に,最後のおいしい部分に行き着くことができるようになったものです。
左様な状況が進展していく先にあるのは…,きっと「もっと強い刺激を」・「もっともっと強烈なモノを」という際限の無い刺激サイクルに毒された人が,大量発生するということでありましょう。
ちょっと手間ひまをかけて,機が熟するのを心待ちにし,目的とするモノに相対するスタンスや,その時が到来するまでの過程そのものを静かに楽しむ(愉しむ)感性…等々は,人間がしみじみとした深い悦び・心の底からわき上がってくる真の幸せを感受するうえで,欠くべからざるものだと,アタクシは考えています。
これからも,しばらくの間は,多方面で刺激の増幅が実行されていくことでありましょう。
…ですが,刺激中毒化に至るまでの間に人々が見失ってしまった本当に大切なモノ・コトが,本格的に見直される時が,いつか来るのではないか。そうであって欲しいと,アタクシ,個人的に念じています。
さぁ皆さん,寅さんの映画を観に,アングラ映画館へレッツゴ~!いたしませう。
ふ~てんの寅さんの生き方や語り,作品の筋立て等から,いまの人たちが失くしつつあるものを,たくさん見つけ出すことができるでありましょう(ホンマかいな!?)。