「国語」には「読書」 | 趣味の大学受験【次男大学受験篇】父子並走日記

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2024年長男大学進学。今度は次男の大学受験だ。
在宅自由業20年超オタク系ガキオヤジによる「受験」「育児」放言日記

一部、国語の成績を上げるのには、「読書」はあまり関係なく、「長文読解のルール」を学ぶことが有効だという説があります。しかし、正直それにはあんまり同意できません。

「長文読解のルール」は否定するものではありませんが、そんなの「質の良い」「大量の読書」の方が圧倒的に大事だと思っています。「読書」の何が大事なのか。

 

(1)ワーキングメモリ(短期記憶)が鍛えられる。

 

たとえば、長い小説を読んでると、途中で「あれ、この人、誰だっけ?」と思うことありませんか?

それは前半に出てきた「主人公の妻の妹の夫の弟」だったりします。

「あれ、こんな伏線あったっけ?」と思うこともあります。

そう、あったりするのですが、あなたがそれを読み飛ばしていたか、ちゃんと読んでおらずに、忘れちゃっただけなのです。

一冊の本を読んでる最中は、その本の内容に没入して、細かな部分まで、読んでる間中だけでも内容を覚えておく必要があります。

この能力は、社会に出てからも死ぬほど大事。

一番大事な能力かもしれません。

お客さまを交えた重要な会議に出て、「あれ、誰だっけ」とか、「あれ、そんな話してたっけ?」、「そもそもこの議題なんだったっけ?」とかしてはダメ。

会議では、その場の話に集中して、短期記憶を保ちながら、内容を理解・分析し、その上で自分の意見を、説得力のある形で提示する、みたいなこと、どんな職業の大人にも求められますよね。

 

受験国語問題は、ややこしい日本語の長文が提示され、その内容について、答えが求められます。

この時最も大事なことは、読書経験で培われた「ワーキングメモリ」です。

提示された難しい文章には、何が書いてあるかを、読みながら瞬間に理解していく。

それだけじゃなく、「どの部分に」「どのようなことが書いてあったか」などを、超短時間に理解していく必要があるのです。

初見の難しい文章をざっと一読しただけで。

「問.傍線部の〇〇は何を意味していますか?」とか、

「問.波線部と同様のことを表現している部分は何ですか?」とか、

「問.〇〇と同じ主張は次のうちどれですか?」とか聞かれるわけです。

今読んだばかりのややこしい難長文を、一時的に頭のメモリーにいれておかないと解けないのです。

 

この「読んだ文章」について「一時的なワーキングメモリ」を蓄える訓練が、読書そのものです。

てゆーか、普段の「読書する力」の深さや正確さを確認するために、国語の試験というのは存在しているのです。

 

(2)文章を脳内でビジュアル化する創造性が鍛えられる。

 

「文章」から、「登場人物像」や「描かれている情景」などについて、「頭の中でイメージ化」して読む力。

これは読書を通じてしか養われることはありません。

「漫画」や「映画」じゃ無理。

「受験国語の読解ルール」の類いを読んでも、この能力は育ちません。

「アルプスの少女ハイジ」や「赤毛のアン」のような、圧倒的な「妄想力」。

「言葉」を「ビジュアル化」する思考力。

人間の知性とは、おおむねここにあるんじゃなかろうかと思うほど、最も重要な想像力です。

他人の気持ちを考え、共感し、寄り添うことのできるのは、この「想像する力」があってこそ。

 

(3)言葉を言葉のまま抽象化て展開できる論理力が鍛えられる。

 

これも結局ワーキングメモリの一種ですが、

「詳細に表現された文章中の言葉」を、「抽象化された別の言葉」に変換する能力。

これは、さらに高次元な読書の効用だと言えます。

これは「読む」ことよりも、「書く」ことで身につくように思いますが、「上手に書く」ために必要な「語彙」を蓄積するのは、これは「読書」以上のものはにないのでした。

 

 

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2024年は大変な始まり方でしたが、

これからV字回復で、皆様にとってすばらしい一年となりますことをお祈りします。

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