「バタフライエフェクト」がスゴイ話を、受験国語にからめて。
結局、「バタフライエフェクト」は、「情報の要約」が素晴らしいのです。
「現代史」なんで、
●「素材となる情報(過去ニュース素材)」は山のようにあふれかえっているのですが
●それをたった45分で、
●「現在の歴史をよく知らない中高生」でにも
●興味深い「テーマや切り口」を定めて、
●ダイナミックな展開をスッキリ頭に入るように「情報をまとめること」
これが、実はムズカシイのです。
何がムズカシイって、それは「情報が多すぎる」から。
「何をバッサリ切って」「何を残すのか」というその判断がムズカシイのです。
「重要な事件だけを残してつぎはぎすればいい」というものでもないのです。
「最終的に流れが頭にスッキリ入るように」するために、「歴史の流れ」を「ひとつの物語として再構成する」という、「妥当性のある」「歴史的解釈」をした上で、その提示をするのに必要なパーツだけを選び直していく。
偏った思想にとらわれないように(NHK報道の多くは「平和」や「清貧」が美徳として語られがちですが、それすら偏っているとも言えるので極力排除する)、しかし、ドキュメンタリー全体を通して観た時に、なんらかの主題が自然と浮かび上がってくるような「物語」的な構成。
「あふれている情報」を、「逐一細かく伝える」というのは、実は簡単。
毎日起きている事件を、そのまま映像と共に、尺にあわせた原稿とともに読み上げる(原稿を書く)というのは、実はほとんど「頭使いません」。
いわゆる「思考力」がいらない。
「ただ目の前のこと」を、「ただ読み上げるだけ(ただ書くだけ)」でいいから。
それはほんのちょっとした訓練で多くの人ができるようになることです。
現場のニュース記者たちは、「一定のフォーマット」の中に、「今回の必要事項」をいれて、伝えるだけでいいのです。
だけど、「多すぎる情報量」の中から、究極のエッセンスだけを抜き出し、しかも偏りを排除して、自然なストーリーとして再構成する。
これは究極の「歴史の要約」です。
この「要約」という知的作業は、やってみればわかりますが、考えれば考えるほど、実に奥の深い難しい知的作業です。
たとえば、「東大」の「現代文」の問題は、「要約」記述問題だらけです。
ややこしい大量の情報を、「自分の言葉」で「再構成」して「コンパクトに要約する」こと。
しかも「問題の本質を偏らせることなく」「エッセンスだけにする」こと。
日常会話でも、多くの大人もできていない。
たいてい「要約というには長すぎる話」になっていたり、「自分に都合良い印象の話に変更されていたり」「自分に興味のある枝葉末節だけが語られて、本質的な部分に触れることが少なかったり」。
「要約」書けって聞かれているのに、「自分の感想文」になったいたりする。
「自己流の解釈が過ぎる」偏向記述になっていたり。
優れた「要約」をするためには、「氾濫する情報」に対する「公正」な「編集」意識を忘れないことと、その一方で(こっちが大事)、「読み手にとってどう書くべきか」という「読者の視点」を忘れないこと。
これは、頭の中で常に、2本立ての視点が同時進行させていく必要があるのです。
そういうのが超あたま使うわけ。
「思考力」ってのはこういう時に使う。
頭の中の「ワーキングメモリ」がメッチャ大きくて、それをダイナミックにガンガンフル活動させないと無理なのです。
****************
2024年は大変な始まり方でしたが、
これからV字回復で、皆様にとってすばらしい一年となりますことをお祈りします。
「受験ブログ」&「中高一貫校の子」ランキングに参加してます。
↓ぜひこちらをクリックして、応援よろしくお願いします。