高1になった次男。
連休中は個人的に秋葉原に行ったり、友達とオンラインでゲームしたりなど。
彼はなんとなく「英語弁論大会」(の予選)に出ることになるかも。
近年の入試改革以後、こうした「正規の授業以外の活動」が、「総合選抜」「学校型選抜(指定校/公募)」といった「年内入試」において、非常に重要な役割を持つようになっています。
「大学に入学する子供の数」は年々減少の一途で、「大学側」は生き残りをかけて、「一般選抜以外で先に生徒を集めること=年内入試」に軸足を変更しつつあります。
まずは、偏差値低めな大学から、それがどんどん全大学に波及しつつあるのが現状。
既に、ボーダーフリー系大学では、入学する生徒の大半が「年内入試」で確保しつつあり、中堅私立大学でも過半数が「年内入試」組、MARCHや早稲田慶應といった上位大学でも、「年内入試」が大勢を占めつつある状況です。これは年々その傾向が加速しているのです。
「入試改革」とは、つまり、「少子化」の時代にあって、「大学をつぶさないように」するための改革でもあるのです。それは「生徒達のための改革」なんかでは決してなく、「大学側のための改革」なんであります。
※よくこういう話の時に、「そんなFラン大学とか、つぶしちゃえ」とか言う人いますけれども、そういう「上から目線」でモノを言えるなんて、ご自身「東大」みたいな超難関大学のご出身なの?
世の中には偏差値が低めの大学だってなきゃ困る人もたくさんいらっしゃいます。
wakatteTVのように不用意な炎上発言は適当にしといた方がいい。
とにかく、今は「一般入試」で大学に入る時代は終わりつつあるのです。
学力一発勝負の時代はどんどん過ぎ去りつつある。
「普通の高校生」は、「遅刻・欠席」はなるべくせず、「高校の定期試験」をちゃんとがんばって、「部活」や「生徒会活動」や「学校外のなんらかの活動」もがんばって、「5教科苦手」でも「家庭科や書道などの実技科目」でも成果を出したりして、それらの多様な「自分が高校生の時にがんばった内容」を評価してくれるような大学に「自己アピール」して入学する、というのが「スタンダード」になりつつあるのです。
早稲田は既にその割合が過半に近づきつつあるし、私立最後の砦だった慶應の経済ですら来年以降そうなるのです。いわんやMARCH以下をや。
国立大学でも、研究大学として最先端をいく筑波大学は既に推薦枠が中心で、他大学はいずれこれに追随する流れになるでしょう。東大や京大は知りませんけれども、それでも推薦枠は拡大の方向のはず。
そんな流れが「いやだ」とかどーだとか、言ってられない「世間の流れ」というものがあるのです。
しらんけど。
「自己アピール」で大学に入るとか、「アメリカ」他欧米では最初からそうなってますから、国際基準に近づいているとも言えます(たぶん、そのかわり大学の卒業が難しくなりそう)。
考えてみれば、「企業への就職」は、「面接」の「自己アピール」で決まるようなもんです。それと同じになってきている。「勉強したかどうか」ってのは、高校の成績に全部出てるわけなんで。全国模試も何度も受けてるし。
またいつものように概論と前置きがえーらい長くなりましたけれども、とにかく、高1の次男が「英語弁論大会」に出ることになりそう。
前から思うのですが、高校生あたりの「英語弁論大会」のコツってなんだと思いますか?
以下、私の個人的な意見ですが、「英語弁論大会」に出ることになった時点で、「英語力(発音やスピーチ力)」はある程度まあまあなんではないかと思うのです。
単純な「英語スピーチ力」は、そりゃ、「帰国子女」みたいな「ネイティブ」系がうまいに決まってますが、でも非ネイティブだろうと弁論大会に出る前に、みんな原稿読むことを練習すれば、そことあんまり差がつかないレベルまでに到達することはできるはずなのです。
つまり、英語弁論大会では、「英語スピーチ力」じゃ、たいして「差」がつかないのではないか。
「差」がつくポイントは、「原稿のコンテンツ力」そのものにあるんではないか。
「何を言うか」が最も大事。あたりまえだけど。
結局、英語だろうと日本語だろうと、「何か書いてあるか」「何をしゃべっているか」そのものでこそ、「弁論大会」の最終的な決着を決めるのではないか。
「英語を流暢にプレゼンテーションする」ことなんてのは、言うたら「(練習したら)誰でもできる」(←かもしれない、個人の感想です)。
大事なことは、「何を言うか」ではなかろうか。
いまどきの高校生は誰でも英語はある程度言えるはず。
原稿自分で書くんだし、練習時間もあるんだし。
そして、たいていテーマは相当自由なはず。
大枠だけが決まっていることが多い。
こうなった時、「コンテンツ」の充実こそが鍵。
これも個人的な意見ですが、「オタク」はこういう時に、力を発揮するはずなのです。
だって、「自分の好きなこと」言えばいいんだから。
「自分の好きなこと」だけに傾いている(社会性の欠けた)人間がオタクちゃんたちです。
私は、私自身がそうであるように、子供達には、「(社会性を多少もった)オタクであるように」という教育方針をもっています。
「好きなことを持て」。
「好きなことを勉強しろ」。
「好きなことを職業にしろ」。
そういうわけで、英語弁論大会の、「英語力」については、高校の先生方にご指導をお願いするとして(私は英語が大嫌いなので)、原稿のコンテンツについては、この連休中に次男と一緒に練り直したりしています。
考えてみれば、「好きなことを勉強」していけば、どっかの大学に(たいした受験勉強をしなくても)いれてもらえるような「年内入試」という制度は、やっぱり「人間的」というか、「教育の本質」に近いようにも感じます。
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2024年は大変な始まり方でしたが、
これからV字回復で、皆様にとってすばらしい一年となりますことをお祈りします。
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