今でもはっきり覚えていますが、
小学校に入って、一番最初に話して友達になったM君は、席が1つ前だったから。
名字の五十音が近かったのです。
これが6歳の時。
すぐ友達。
以来、50年近く、ずっと友達。
小学校・中学校を通じて、ほとんどケンカをしたことがない。
小学校の頃はよくお互いに泊まりに行ったりもした。
高校も同じところに進学。
現役の時に受けた大学も同じ。
彼も数学がダメで、そんな数学ダメ男でも受けられる国立なんて限られるから、筑波大を受験。
二人とも不合格だったので、一緒に同じ予備校に通う。
浪人して別々の大学に進学。
彼は筑波大学をもう一回受けて合格、わたしは東京の私立大学に進学。
茨城と東京ですが、一緒の電車で上京。
学生時代もなんだかんだで2~3か月に一度は会っていた。
よく一緒に帰省もした。
卒業旅行も一緒にアメリカに1か月間の極貧貧乏旅行に行った。
わたしは卒業しなくて留年したけども。
彼の結婚式にはもちろん友人代表のスピーチをした。
結婚式ありがちな「スライドショー」で小さい頃からの写真がたくさん映るのですが、
その多数ある彼の生い立ち写真の中で一番映り込んでいるのは私だった。
彼の妹やお母さんよりも多い。
社会人になってさすがに少し会う機会は減ったけれども、
彼が上海勤務の時には、楽しそうだから、何泊か遊びに行った。
彼の中国での不倫相手とも一緒にメシ食ったりした。
その後、その愛人彼女を、(奥さんに内緒に)入国させる手助けもした。
それが結局バレて、奥さんと離婚話が本格化した頃、また日本でよく一緒にお酒を飲むようになった。
これが10年くらい前で、その後定期的にまた一緒に会うようになった。
今、彼は日本を代表する某巨大企業で、若くして役員に名を連ねている。
吹けば飛ぶような零細個人事業主であるわたしとは、社会的役割やら肩書きやらとして、えーーーーーーーらい大違いである。
しかし、二人の関係は、小学校入学式が終わってはじめて教室に入って言葉を交わしたあの6歳の頃から、まったく変わらない。
わたしが偉くならないで変わらないのと、彼が偉くなってもせこくて貧乏くさいままだからだろうと思う。
50年経っても子供の頃からの友達は変わらないものだと思います。
全部の友達とこんなように長続きしているわけではもちろんないのですが、たまにはこうして長いつきあいの人もいる。
こういうのが「縁」なんだろうなと思います。
お互いに対する「興味」が長続きしている。
こっちも向こうに「興味」をもっているし、向こうもこっちに関心がある。
わたしは、友達が極端に少ないんですが、少ない友達は大事にするタイプなのです。
子供達も今新生活がはじまり、新しい友達を手探りしながらなんとなく不安のある時期だと思うのですが、思うに友達ってのは、作ろうとして作るというよりも、なんとなーくのきっかけで、自然とできちゃうもの、としかわたしもうまくアドバイスできないのでした。
ただ、せっかくできた友達のことは、大事にした方がいい、ということはアドバイスしたいと思います。
この記事は3年前の再掲載です。
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2024年は大変な始まり方でしたが、
これからV字回復で、皆様にとってすばらしい一年となりますことをお祈りします。
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