4月7日、日曜日。
今日は結構暖かい。
半袖の人もいるほど。
朝からまた花見にでかける。
今年は「いつもの花見スポットとは別のところへ」がコンセプト。
東京の花見ド定番「上野公園」に、子供達を連れて花見をしたことがない。
(上野自体には最近来たけれども。)
そういうわけで家族で初上野公園花見。
コロナ明けからか、例の「沿道で酔っ払いが騒ぐタイプ」の花見客がほとんどいない。
コロナは日本のいろんな習慣を変えた。
コロナがはじまった2020年の花見シーズンのことは記憶に新しいです。
あの頃、日本は(世界中も)とにかく「暗かった」。
志村けんさんがお亡くなりになってから、とにかく「ちょっとやばいのかも」的なムードになっていった。
外出が禁止されていた。
近所の公園にも来るなとテープが貼られていた。
ラーメン屋さんはもとより、散髪屋さんに行くのもためらわれた。
多くの人が自宅で仕事をすることになった。
飲食店の学生アルバイトはほとんどなくなった。
閉店に追い込まれたり、国から補助金が出たりした。
毎日毎日、夕方のニュースで「今日の感染者数」が発表されて国中で一喜一憂した。
渋谷の大スクランブル交差点が「ガラガラ」の映像が流された。
田舎に里帰りすると「東京モノはウイルスをもちこむな」と張り紙をされた車があった。
あの暗い2020年から、4年が経って、今日の上野公園ではマスクしてる人なんかほとんどいない。
「密」ですが何か?
そんな時代もあったねと、いつか話せる日がきたね。
長男が大学に入学して、このブログを継続するのかどうか、ちょっと考えたこともありました。
ある程度目的は達成したし、ここでやめてもいいのかもしれないと、ちょっと考えました。
ただ、こういう「日記の記録」を続けていると、自分の記憶がより鮮明になるように思うのです。
少なくとも、忘れかけたことも、日記を読み返すことで、思い出が強化されることになる。
つまり、「復習」が大切ってことですね。
習ったことは、ノートに書いておくと、長期記憶になりやすい。
「花見①」の記事に書いた通り、人間は結局「想い出づくり」のために生きてるんじゃなかろうか、と思うのです。
「財産づくり」のためでもなく、「人間関係づくり」のためでもなく、それらをひっくるめて「想い出づくり」。
どうせ死ぬんだったら、それだって意味ないじゃん、という考える人もあるかと思うのですが、最近の量子力学的仮説だとですね、「人がこの世で経験した思考や意識」は、意外とフォログラム情報のように蓄積され続けているんじゃないかという話だってあるのです。
「お金」はあの世にはもっていけないのは正しいのですが、もしかして「想い出」はあの世にもっていけるかもしれないわけ。
その説でいくと、やっぱり人は結局「想い出づくり」のために生きてるのかもしれないのです。
まわるまわるよ、時代はめぐる。
喜び悲しみくりかえし。
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わってめぐりあうよ。
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2024年は大変な始まり方でしたが、
これからV字回復で、皆様にとってすばらしい一年となりますことをお祈りします。
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