2年前の記事が上がってきて、いろいろあーなるほどなーと感じています。
当時、息子たちは新中2と新高2でした。
今は新高1と新大1です。
義母が亡くなったばかりで、実父はまだ存命でした。
その翌年(去年)実父は亡くなります。
親世代が亡くなるにつけ、「生きる」とか「死ぬ」とか、どうしても考えるようになります。
私だけじゃないと思いますが。
元元、哲学科に進学したような人間ですから、そういうことにはずっと興味があるタイプなのです。
宗教的には、高校生から聖書に親しみ、キリスト教が好きなタイプなのですが、別に教会に通うでもなく、また息子たちは(別々の)仏教系の中高私学に通ってます。
息子達は幼稚園の頃には、近所の教会がやっているキリスト教系の幼稚園でした(←ものすごく良かった)。
長男はこの春からキリスト教系の大学に行くことになりました。
そういうわけで、「宗教的には不統一なバラバラ」なのですが、しかし、「(宗派はなんであれ)宗教的であること」は「良いこと」だという意識があることもわかります。
少なくとも「宗教」には関心がある。
つまり「どう生きるか」や「神の存在」やらに関心がある。
また、インテリの方がなりがちなような「無神論」でもないのです。
神様(的存在)はどういう形式かはわかりませんが、いるんじゃないかと感じています。
いてもおかしくない、というか。
神様の存在を否定するほどの根拠もないはずだというか。
「無神論」とか「神の否定」をする態度をとることは、私はしないでおこうと思ってます。
だってそれこそ証明できないから。
「神はいない」とかいう人たちも、証明できないでしょ。
基本的に、あれは「言い張ってるだけ」よ。
その方がたぶん(自分の生き方に)都合いいから。
もしかして、ホントは神様いたらどうします?
そんな「神はいない」とか「死後の世界なんてない!」とか言ってた人たち、死んでみたら、ホントは神様もいて、えんま様もいたりして、おまえら生きてる間に、よく神様の悪口言ってたなコラとか怒られたりしたらどうする?
ホントは証明できないでしょ。
「神様はいる」「いない」の二択としたら、私は「いる」にベッドです。
多くのインテリ層の方々は「いない」を選択してるみたいですが、どうでしょうね。
で、他の人は実は関係ないのです。
自分がどう生きるかくらいしか本当は関係ないから。
量子力学の超先端の考え方のひとつでいうと、「自分が今見てるもの以外、ぜーんぶ虚構」説ってのもあるくらいで。今見てないものはすべてただの「波」で「実態なく」「雲みたいにふわふわふわ~っと消えている」説だって、否定できないのです。(マジでそういう説も物理学で証明され気味なのです)
てか、この世界がぜーんぶ、「宇宙の外側の誰かが書いているプログラム」説ってのもある。
去年かおととし、東大の物理学チームが、その形跡を「計算式で」導き出したという研究発表もあったくらい。
一昨年読んで超おもしろかったフランス文学「異常(アノマリー)」てのがまさにそれをテーマにした小説でした(メチャクチャおもしろいからオススメ)。↓
それよりさらに数年前、あろうことか(あの、貞子で有名な)「リング」シリーズの結末である、「ループ」でも、同じ結論になってたりします。これはあまり知られてないですけど、実はループこそSF好きにはたまらない傑作。基本上記の「異常(アノマリー)」や東大の研究と似たような結論という。意外とバカにできない鈴木光司。鈴木さんは「宇宙がブラックホールに飲み込まれる」SF「エッジ」も結構おもしろいのです。「リング」みたいにヒットしなかったけど。
なんだかまとまりもなく続く。
4月に新規の仕事が始まるまでの「つなぎ」日記。
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2024年は大変な始まり方でしたが、
これからV字回復で、皆様にとってすばらしい一年となりますことをお祈りします。
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