4月から高校生になる長男、新しい塾からのおすすめの英和辞書を買った。
ジーニアス英和辞典。
中学生の時にも英和辞書は買ったけれども、あれは「なんちゃって」辞典。
教科書に準じたとてもコンパクトなもの。
「NEW HORIZON」英和辞典だった。
中学生用の英和辞書なんてそんなので十分。
初心者用なんて、小さい方が使いやすい。どうせ中学生の英語だし。
しかし、高校生の時に買う英和辞典は一生モノくらいに思います。
わたしの今手元にある辞書は、高校生の時に買ったものです。
研究社の「ライトハウス英和辞典」。当時の学校の先生にお勧めされたから買ったと記憶してます。
辞書はたいてい中学~高校の時に買ったものを、大人になってもずっと手元に置いてます。
たとえば、国語の辞書。
コンパクトな小さいものは、中学生の時に買った「小学館 新選 国語辞典」を今も机の上に置いてます。
あと、本棚には、高校生の頃から使っている岩波の「広辞苑」も置いてる。昭和58年の版。
中学~高校の頃とか、日本語も英語も、辞書ばっかりひいてた記憶があります。
あの頃ホント面倒だったんですが、特に高校の英語は予習してかないと、さされて恥じかくだけなので、毎日のように辞書をひかざるを得ない。
国語の辞書は、実はわりと好きで(趣味で)ひいてたフシもあります。
日本の近代文学とか好きで、読んでるとかっこいい難しい言葉がジャンジャカ出てくるのですが、それを調べて使えるようになったりするのが好きだったのです。
ロールプレイングゲームで、新しい武器や防具やアイテムを買い揃える感じに近い。
しかし、英語の辞書引きはほぼ苦痛だったですね。あれは苦行というか修行というか。
「単語を覚える」のは「頭を使う勉強」って感じしますが、
「辞書を引く」ってのは「手を使う作業」って感じしますね。
そういう自分の体験から、子供達には、「辞書なんか引く時間はもったいない」との趣旨で、パソコンやスマホを中心としたIT機器/ネットワークを使った「言葉調べ」をすすめています。
教育的観点から言うと、紙の辞書に慣れさせる方が大事なのかもしれませんが、わたし自身、そういう「手作業としての辞書引き」には抵抗がずいぶん残っている。
数年前、長男の誕生日プレゼントに、辞書ひかなくてもスキャニングして訳を出してくれる機械を贈りました。クリスマスにはポケトークみたいな音声翻訳機も買ったこともあります。
今、スマホにかざすだけで英語を日本語にしてくれるアプリもあるみたいですよね。
辞書で、「言葉の意味を調べる」という行為自体は、レトロな趣味の世界になり、実務的にはスキャニング翻訳が進みそうな気がしてます。
だから「調べる」ってのは、機械まかせで、手作業が減った分、それを「覚える」という頭使う行為が今後ますます大事になってくるんでしょうね。
勉強ってのはつくづく「面倒くささとの戦い」です。
しかし、たいていの仕事も「面倒くささとの戦い」です。
ある意味「退屈さとの戦い」かもしれない。
楽しいことばっかりやってれらないって話。
勉強も仕事も、「ちょっとだけ」やる分には、楽しさもあるんだけれども、「ちょっとだけ」ですむ量しかやんないなら、ほとんど何の成果も得られないも同然。
勉強も仕事も、「膨大な量」やんないとほとんど意味はない。
そうなってくると、「面倒くささとの戦い」で、「退屈さとの戦い」になるんだろうなーと思います。
ところで、辞書といったらこの映画がおもしろいですよね。「舟を編む」。
原作の三浦しをんの小説もとてもいいのですが、それを石井監督が、原作世界観を忠実に、しかしより豊かに描いた傑作。出演俳優陣もみなすばらしい。
「仕事って大変だけど、それに打ち込む姿は美しい」みたいな物語。
まさに「地味に感動する」。
「仕事」も「勉強」も、「面倒さとの戦い」だと、この物語でも徹底的に描かれています。
しかし、その「面倒さ」とは、「辛い」だけではない、むしろそれよりもずっと「実り」ある「感動的」で「充実」した「人生そのものだ」ということがよくわかります。