アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/07/23(火) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/07/23(火) 💖💓💛💖🌈

 

● 第一日課:列王下4:42-44
  4:42 一人の男がバアル・シャリシャから初物のパン、大麦パン二十個と新しい穀物を袋に入れて神の人のもとに持って来た。神の人は、「人々に与えて食べさせなさい」と命じたが、 4:43 召し使いは、「どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう」と答えた。エリシャは再び命じた。「人々に与えて食べさせなさい。主は言われる。『彼らは食べきれずに残す。』」 4:44 召し使いがそれを配ったところ、主の言葉のとおり彼らは食べきれずに残した。

:今週のテーマ【被造物の賛歌】

【聖句断章】  4:42
一人の男がバアル・シャリシャから初物のパン、大麦パン二十個と新しい穀物を袋に入れて神の人のもとに持って来た。神の人は、「人々に与えて食べさせなさい」と命じたが、・・・
    
@ 【神の人】とは、霊的指導者のこと。その元祖はモーセである。神と人とを結ぶ懸け橋となる人間である。その伝統の中で今日のテキストでの神の人はエリシャである。エリシャは預言者エリヤの愛弟子である。エリヤはイエス様とモーセと共にイエス様の姿が変容した山で邂逅した三人の一人で、イスラエルの数ある預言者の中の一番の預言者として讃えられた人物である。エリヤが天に上げられる時、エリヤから直々にその霊を受け継いだ預言者の継承者である。

*  聖書には【神の人】との表現が出て来るが、 イエス・キリストは神の御子と呼ばれています。コロサイ書はその御子イエス・キリストを【御子は目に見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも万物は御子において造られました】と≫と宣言しています。そのイエス・キリストのことを古代教会は、「まことの神にしてまことの人」と信仰告白しています。即ち、【神人】です。この【神人】御子イエス・キリストについて、今週のフランシスコの黙想で≪世界を創造された時の神の意向がご自身を伝えることであれば、最初に望まれた被造物は、ご自分の素晴らしい計画を完全に表現する被造物でなければなりません。そしてそれは【神人】でした。創造の業の動機であり究極が「自身の外」への神のコミュニケーションと捉えるなら、宇宙創造の中での【神人】の至高性がおのずと理解できるでしょう。≫とあります。イエス・キリストはキリスト教の信仰告白においては被造物ではなく父なる神との共同創造者ですが、その御子の姿を模して【神人】としての人間が創造されたとするのもまた、原初からの信仰告白です。

@ 【神の人】と【神人】 との関係を問う :
* 【神の人】エリシャは奇跡を起こして人々を癒し救った。今日の個所で≪大麦パン二十個と新しい穀物≫をもって飢饉で飢えている人々100人を救った奇跡です。今週の福音書日課では、イエス様は5つのパンと2匹の魚で5000人を満たした奇跡が描かれています。しかし、奇跡を起こすことが【神の人】の本意ではない。それはエリシャもイエス様も同様である。それはあくまでも接点である。此の世の現実と神の現実の接点。自然と超自然の接点である。しかしそれに留まって、癒し人としての奇跡を行う人として名を馳せることが本意ではない。本意は人々(人間)が【神人】となるのを助けることである。

* 奇跡/しるし/不思議/癒し等々は魔術と呼ばれるジャンルに属する。神の人はそのジャンルの達人であった。エジプトで奴隷であったイスラエルの民を救い出す時、モーセはエジプトの魔術師と対決した。エジプトは怪しい魔術、黒魔術の故地である。そのエジプトの黒魔術師と対決してモーセは神の杖で彼らに打ち勝った。人類の歴史の原初から、神の奇跡(「魔術」)と悪魔の黒魔術とが対立して競い合ってきた。黒魔術の伝統は錬金術とマッドサイエンスに引き継がれた。人類の原初から或る時突然高度文明が花開き、エジプトのピラミッドのような大建造物が造られる科学文明が何かによって起こった。伝説ではそれは悪魔と堕天使によって神から不正に奪取された聖なる科学だった。聖七学と呼ばれる科学を奪取した偽七学から人類の原初の突然の文明開化が起こされたと言う。神の聖なる七学と偽七学の対立はその後の人類の歴史を貫いて今もますますその進度を速めて進んでおり、今日のテクノロジーの偉大さと共に、その位置づけの危うさが同居している状態である。

* 真の奇跡と黒魔術的奇跡が共に存在する。一方は真の宇宙の神の主権を尊重し、賛美/祝福/感謝して自らを神に仕える人【神人】としてへりくだるが、他方は自己義認/自己栄化/高慢の極みで自己神化させようとする。

* 神に栄光を返す讃美 : 永遠の愛から出るものは全て豊かにされる。そのような奇跡、しるし、不思議がある一方、それとは真逆の、卑しい自己本位の奇跡の悪魔的利用が存在する。だが神それをも人間の本心を試すために用いられる。独り子イサクをささげるよう神から求められたアブラハムのように。

* 癒し、飢饉、飢えなど、危急からの救出の時は悪魔の試みの時でもある。「主の祈り」の中の【悪魔の試みから救い出してください】との祈りは、危急からの救い出しの際に悪魔の誘惑に陥らないようにしてくださいとの祈りでもある。癒しも奇跡もしるしも不思議も両面性、両価性を持っている。良く用いれば善性の賜物であるが、悪く用いられればその力に魅了されて悪魔の罠に陥る。今日、癒しのテクノロジーは急速に進化し、あらゆる領域で健康がキーワードとなっている。その究極がメドベッドであろう。しかしその用い方次第でそれは悪魔の道具ともなる。今日、科学の進歩と霊性の一致が強く求められる。

💓  霊的癒しとは、永遠の愛から発する憐れみの業である。癒しを行う業において霊性に仕える喜ばしい科学としての道を求めよ。癒しは愛を持った【神人】の業であれ!

 

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