アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/06/21 (金) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/06/21 (金)💖💓💛💖🌈


● 福音書日課:マルコ4:35-41
4:35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。 4:36 そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。 4:37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。 4:38 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。 4:39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。 4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 4:41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

:今週のテーマ【神の不思議の御業】

【聖句断章】4:35
その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。
    
@ 【嵐】を起こさせたイエス :
* 状況証拠的に考えると、イエスご自身が、この出来事を弟子のため、弟子たちの目を開くために、仕組んだようにわたしには思われる。何故、わざわざ、夕方になって暗くなりかけて、向こう岸に渡ろうと提案されたのか? 次の朝ではいけなかったのか? 夜に向かう時に海の上にいるとことは、不安定さの中に身をさらすことである。何かが起こっても対応が難し。その時にわざわざそのような提案をされたことには何か特別な意図がないだろうか? 嵐を鎮める方はそれを起こすことも当然お出来になる。だとすれば、弟子たちをあえて嵐の只中に導かれたのではないか?その意図は何か? 今、我々も世界情勢の中で嵐を体験している。次々に暗雲が襲い掛かって来るような状況である。しかしそれも神が仕組まれた嵐ではないか。世界の嵐の中で人々がどのように反応、応答するかを試すために神さまが仕掛けられた大がかりな芝居!

@ 弟子たちの反応 :
* 嵐の中でも弟子たちの中に毅然とした態度を取った者は一人ぐらいいなかったのか? 誰もいなかった。 ≪激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。 ・・・弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。 ≫

* ソドムがそのおぞましい罪のために滅ぼされようとしていた時、そのソドムを救うためにアブラハムはソドムの人々のために執り成した。だがロトの家族以外正しい人が誰一人いなかった。嵐の中の弟子たちもそれと似ている。ソドムからの脱出の時、ロトの家族の中でロトの妻は最終的に曖昧な態度で来た道を振り返るが、それで彼女は恵みから漏れてしまう。嵐の中の弟子たちも同じように信仰という点で確かさを欠く曖昧な状態でしかなかった。それで彼らも嵐の中で恐れ慄き、慌てふためく。そしてその末にはイエス様を捨てて離れ、一旦は彼らは皆滅びてしまう。彼らは絶望に打ちひしがれてエルサレムを去って行く。神は何故そのような「厳しい」と凡人的には思われる、信仰の確かさを人類に求められるのだろうか? 曖昧ではいけないのか?何故??
 
@ 【神の裁き】は我々が思っているような単純な勧善懲悪の裁きではない。我々の想像をはるかに超えて、悪人をも救う裁きである。神ご自身の義と人類の救いへの愛が一体となった裁きである。その裁きの次元はもはや善悪の彼岸にある。善人にも悪人にも太陽を登らせ、雨を降らせる裁きである。善側悪側の区別なく、正しい者を救い、悪人を裁く義の裁きである。それでもその悪人の滅びを望まれない神の義と愛が貫かれた裁きである。その裁きを前にして、弟子も敵対者も平等である。神は人を見て裁かれない。事柄を見て裁かれる。カインに対しても「お前が正しければ顔を上げよ」と言われた神である。「正しい」事、それだけが問われる。弟子たちに対しても、もしやましいことがなければ恐れることはないと言われる神である。しかし、ペトロたち弟子の利点はイエス様と共にいたことである。運命的に選ばれてイエス様と共に行動する者に対してご自身の本質を最初に現わされるのは、当然と言えば当然であろう。それ故、神はご自身の大いなる現実を【不思議の業】をもって示される。そうして神は嵐を鎮め、ペトロたち(神の民)の恐れを取り除かれた。自分は神の前に立つことなど出来るような立派な者ではないと、自分自身の義を顧みて躊躇することなく、神と共に、神の近くに、親しく歩め。その者たちは神のコミュニケーションに与る。神が何を語り何を為すかをこの目で見ることになる。

💕神はご自身の力で罪の海に沈んだ民を死の床から蘇らせる。それが今週のテーマ【神の不思議の御業】の指し示す行き先である。神がもたらした嵐の鎮静は御子の復活を通して為された。神は御子と共に全ての罪びとを死に至らせ、御子と共に蘇らえさせてくださる。【神の不思議の御業】によって全てが蘇る未来の新天新地を望み見て歩もう。
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