アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/06/17(月) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/06/17(月)💖💓💛💖🌈


● 賛美唱:詩編107:1-3,23-32
107:1 「恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに」と 107:2 主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い 107:3 国々の中から集めてくださった/東から西から、北から南から。 107:23 彼らは、海に船を出し/大海を渡って商う者となった。 107:24 彼らは深い淵で主の御業を/驚くべき御業を見た。 107:25 主は仰せによって嵐を起こし/波を高くされたので 107:26 彼らは天に上り、深淵に下り/苦難に魂は溶け 107:27 酔った人のようによろめき、揺らぎ/どのような知恵も呑み込まれてしまった。 107:28 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと/主は彼らを苦しみから導き出された。 107:29 主は嵐に働きかけて沈黙させられたので/波はおさまった。 107:30 彼らは波が静まったので喜び祝い/望みの港に導かれて行った。 107:31 主に感謝せよ。主は慈しみ深く/人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。 107:32 民の集会で主をあがめよ。長老の集いで主を賛美せよ。

:今週のテーマ【神の不思議の御業】

【聖句断章】107:1
  恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに
    
@ 【 恵み深い主】:詩家は何を恵みとして感謝しているのか? 文脈からすれば、捕囚の苦難とそれからの解放である。その恵みとは、それ故、救いの恵みである。救いの恵みを感謝する歌であるなら、それはどのような大きな感謝に満ちた賛美であることか、想像もつかないほどである。

* 詩107:1のKJV訳 : O give thanks unto the LORD, for he is good : for his mercy endureth for ever . それを直訳すると、〔おー!主に感謝せよ。主は良い方だから。その恵みは永遠に続くから。〕その恵みの偉大さが少しでも訳出されただろうか。ヘブライ語の〔良い(トーブ)〕は非常に良いことを表す。それは外交辞令なし、掛け値なしの〔良い〕である。神の為さる事を前にして、人間は正直にされる。どんなに表面を繕っても、繕うことが出来ないからである。いつも真剣勝負である。良いものは良い。悪いものは悪い。と、良いか悪いか、はっきりしている。

* だから、本来、どのような〔恵み〕も掛け値なしの恵み、圧倒的な恵みであって、それを感じる時、人は低く謙虚にされる。だから、〔恵み〕という言葉を無暗に日常の当たり前のこととして用いてはならない。それは人間にとっては得難い、それに価しない恵みなのだから。日本語の〔有り難い〕はそれを良く表している。

* そこで、詩家は、一直線にそこからあらゆる恵みが溢れ出てくる恵みの源、原点へと想像を飛躍させる。神の救いの御業は【神の不思議の御業】であり、〔恵み深い御業〕である。そのことが、詩篇107全体で展開される。

* それは単純な構成ではない。死から命へ、苦難からの解放として体験された恵みである。神はイスラエル(神の民:神の子ら)に対して永久に〔良い方〕、〔恵みである方〕、もっと正確に言えば、ルターが言うところの〔恵みのみ〕である方である。現実はそれと真逆の捕囚の身となっている自分がここに居る。否、居た、である。だが今は、それとは真逆の事実が目の前に展開されている。それは信じられない恵みである。【神の不思議の御業】である。イスラエルの主はエジプトで奴隷の民に不思議な業をなさった。歴史を経て、再びそれと同じく、バビロンでもその民に対して、信じられない出来事が起こった。バビロンから解放された彼らの経験は、主なる神の恵みは永遠に不変だとの民族的経験となった。

* そのような経験を共有する者は誰でも、恵みを簡単に口にしない。それを口に出すときには、それは心からの讃美と感謝に溢れたものであり、苦難からの解放の経験が伴う。ナチスの悪魔的訴追による殉教者、牧師ボンヘッファーが言うように、恵みは「安価な恵み」ではなく、「高価な恵み」である。

@ ≪苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと主は彼らを苦しみから導き出された。主は嵐に働きかけて沈黙させられたので/波はおさまった。彼らは波が静まったので喜び祝い/望みの港に導かれて行った。主に感謝せよ。主は慈しみ深く/人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。 ≫  高価な恵みにはそのプロセスの一部として〔嵐〕も不可分離的構成として含まれる。

* 詩篇107は賛美の歌、感謝の歌である。詩家は詩篇の冒頭を ≪恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに≫から始める。この言葉は、イスラエル先祖伝来の公準である。その原点から語り出し、最後に行き着くのは、再び同じ原点である。≪主に感謝せよ。主は慈しみ深く≫。冒頭と掉尾の二つの〔慈しみ〕(恵みと慈しみは同義反復である)を挟んで、詩家は詩篇全体において先祖の嵐の経験とそれからの解放の経験を自分自身の経験と重ね合わせてたっぷりと語る。最後の〔慈しみ〕は同じ言葉でも、その内実は、嵐を経た経験に裏付けられた深い内容がたっぷりと浸み込み、滲み出ている。

* だから私たちが恵みを歌う時、私たちは自分自身の生涯全体を顧みているのである。たった一つの小さな恵みも、大海の一滴として、恵みの大海の一滴である。今週のテーマ【神の不思議の御業】はそのような逆転の経験を一直線に指示している。パウロは【今は恵みの時、今は救いの日】と、【今】を喜び寿ぐ。真の意味で、今良ければ、全て良い!

💓【主に感謝せよ、主は恵み深く、その慈しみは永遠! 】

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