アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/05/29 (水) | ブログ 太陽と共に始めよ

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水曜特番:翻訳
Genesis 6 Conspiracy : How Secret Societies and The Descendants of Giants plan to enslave Humankind  by  Gary Wayne  2014 imprint of Deep River Books『創世記6章陰謀 :秘密結社と巨人の子孫たちの人類奴隷化計画』
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第4部  【最終世代:ヤコブの患難の時】
 第44章  バビロン 464-472/1133
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≪ ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた。≫ 黙示録8:10


* 黙示録は聖書中で最も誤解されている書であるが、それを読む時間を取る人に特別な祝福をもたらす唯一の書である❶。

* では何故、そのように重要な証言がそれほど多くの比喩に覆われているだろうか? それらの遠回しな比喩には謎の意図があるのだろうか? この未来の書は黙示的過去からの意図的比喩で暗号化されているのだろうか?

* 黙示録は聖書をしっかり学ぶ信者のための書である。熱意をもって学ぶ人々にとって黙示録の比喩は躓きの石ではなく、またその適用において主観的だということもない。全ての聖書の比喩は聖書テキスト内部で自己規定されている。ただそれをどこに探せば黙示録の暗喩が解読できるかを十分知るよう求められているだけである。それには何ら神秘的なものはない。

* この世代と古代を結びつける最も明確な言及はバビロンである。今日の文明世界は新たなバベルの塔を素朴に受け入れようとしている。その新しいバベルの塔は最初のバベルの塔の全ての悪をもたらすであろう。そのバベルの塔には新たなニムロドも含まれている。そのニムロドは王座に就く時を翼の陰で忍耐強く待っている。

* 平野の民は分たれたくなく、一つの民、一つの国語、一つの政府をもって、一つの集合的野望を持って生きることを選んだ。彼らは神に反逆する集合意識をもって結束し、レメクの子孫によって洪水前時代に建てられた賢明な宝庫を利用した。この不法の知識をもってすれば何事も不可能な事はなかった。新たに発見されたテクノロジーと知識とが偽宗教によって支えられた。その宗教自体、不法の知識だった。この不法の知識と、宗教の権威に発する力でニムロドはシンアルの民を統一する絶対権力を簒奪した。我々がこのレンズを通して今日の最終世代を批判的に検証しなければならない。

* 【バビロン】という比喩的用語は終末預言の観点から大変多く混乱させられている。混乱はたいていこの比喩の文脈の定義に関わる無知から来ている。終末のバビロンとは何かについて混乱している人々は一般に、終わりの時に再生する古代都市に関して、物理的側面からイラクの古代の宝庫の再生を指していると勘違いしている。また、比喩的側面からの勘違いもある。彼らはバビロンのことを、諸国を足下に踏み付ける終末時の大世界政府だと考えている。これら二つの解釈は共に部分的には正しい。

* まず我々はバビロンが終末の町だとする聖書の数々の預言を認めねばならない❷。預言は明らかにバビロンが終末の様相を呈した町であると語っている。この章の冒頭に引用した聖句が立証しているのはそのことである。唯一の疑問はそれがどの町かである。それは現在の町なのか、それとも古代のバビロンが再生される町なのか? さらに気を持たせるのは、それがグローバリストがもたらそうとしているやがて来たるべきユートピアの記念碑として建てられるべき町なのか? 終わりの時が近づいており、7年あるいはその前に来るべき患難の数年を加えても、その町を新たに建設するためには時間がないだろう。というわけで、我々はまずバビロンを現在の町として探さなければならない。

* 預言のバビロンの町を規定しているのは古代の三つの不名誉な例である。黙示録は未来の町をバビロンとして比喩的に語っている。イザヤはツロとバビロンのこととした。エレミヤはバビロンを比喩化した。ゼファニアとナホムはニネベのことだとしている❸。これらの預言のバビロンはみな、未来の同じ町のことを語っている。だが、それらが用いている比喩相互の相違は矛盾や混乱を意味しないどころかむしろその意味内容を照らし出している。さらには、ヨハネが黙示録を書いた時代は別にして、この未来のバビロンは世界舞台にまだ登場していなかった。それ故、それらの預言はみな、未来の町についての比喩と見られなければならない。ヨハネにはこの町をバビロンとする別の動機付けがあった。全部で三つの比喩は、終末の悪の町を鳥瞰する視点を与えてくれる。

* まずはじめに、古代フェニキアのカナン人の大都市、悪名高い達人ヒラム・アビフの町ツロについて検証しよう。ツロは洪水後世界の貿易の最大の中心地だった。ツロはビジネス、商業、海洋貿易ルートにおいて有名だった。それによって遠く離れた地の果てから、ツロを経由するだけで古代世界の全ての重要都市に産物をもたらした。ツロは古代世界の市場として、ビジネスの才によって豊かになった。ツロはツロを経由した膨大な貿易量によって古代の世界中の商人たちを豊かにした。自由な世界貿易の時代には貿易の自由な流通を仲介するルートのように機能する町が必要だった。

* そのようなことが再びそう遠くない未来にまた問題となるだろう。GATT世界貿易協定や多くの国連の堕落した組織は世界的自由貿易を制度化する組織となり下がっている。一度このような悪魔的理想が完成し制度化されると、世界は完全に自由な貿易ゾーンとなり、世界中の市民が他の同胞市民に対して敵対して戦わせることとなる。終末時代はローマ帝国滅亡以来見たことのない時を迎えるだろう。ローマ帝国では自由貿易が伝説の一部となるほど重要であり、その機能がうまくいっていた。この評判のよくない血の未来都市は、古代においてツロとアトランティスが果たしたように世界貿易の中心地となるだろう。それに比べればニューヨークが小さく見えるだろう。

* 黙示録18:11-24によって我々はバビロンが商業の町であり、その町で豊かになった世界の商人たちがバビロンの滅亡を嘆くことだろう。その町が扱う商業レベルをちょっと考えてみればよい。

≪地の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや、彼らの商品を買う者が、ひとりもないからである。その商品は、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、各種の香木、各種の象牙細工、高価な木材、銅、鉄、大理石などの器、肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである。≫

* バビロンは世界中で行われる全ての商業に税を課すだろう。ツロとアトランティスは悪の未来都市のビジネスの特徴を描き出す完璧な比喩的都市である。


* 第二の比喩的都市はニネベで、ニネベはバベルからの離散後ニムロドによって創建された町である。ニネベはアッシリアの首都で、洪水後の古代の七つの世界の七大帝国、エジプト、アッシリア、バビロニア、メディア・ペルシャ、ギリシャ、ローマ、それに未来のローマ帝国のうちだぶん最も不敬の町だった。

* アッシリア人は戦争と拷問の暴力と大量のジェノサイドの実行で悪名を轟かせた。彼らは彼らに敗れた犠牲者を容赦せず、囚人を串刺しにしたり、生きたまま皮を剝いだ。アッシリアは洪水後の帝国で最も血に飢えた帝国であり、そのアッシリアの洪水前の行動モデルがアトランティスだった。ニネベは、ナホムの記すところによれば、その町の中で繰り広げられたあらゆる暴力、殺人、拷問のゆえに血の町だった❹。アッシリアはニムロドの地だった。アッシリア人はまさにその父の息子だった。

* 血の未来都市は、その富は王朝的で、その栄光の輝きは煌びやかであろうが、その無慈悲さも限りないことだろう。≪全ての国民はお前のまじないで騙され、また、預言者や聖徒の血、さらに、地上で殺された全ての者の血が、この都で流された。≫(黙示録18:23-24)≪神は、神の僕たちの血の報復を彼女になさった。≫(黙示録19:2)その町での聖徒たちのホロコーストの規模と本性は空前絶後のものとなるだろう。バビロンは、ニネベの町の中で行われた罪に比較される血に飢えた熱狂に振動して、永遠に血の町として覚えられる真に血の町だろう。≪( 偽預言者は)先の獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。≫(黙示録13:15)。宗教としてのバビロンはそれが公言しているような寛容で理想的なユートピアの宗教ではなく、ネフィリムの宗教であろう。バビロンは反キリストの像を強制的に拝ませる前代未聞の新型の世界的偶像崇拝を課すだろう。

* 第三に、バビロンは、その特徴を最も良く定義する歴史に適用された象徴的都市である。それはその内的精神がバベルから出て来た古代都市バビロンに由来する。J.R.Porterは、神と神の僕たちの敵に適用される帝国はバビロンと呼ばれるようになったと記している❺。さらにポーターはバビロンを、あらゆる悪の化身、神とその選ばれた民に敵対して立てられた邪悪の王国と見ている。それは、誇り、抑圧、富、贅沢、性的自由、偶像崇拝の複合的シンボルだった❻。バベルはその専制、乱交、宗教、反抗において新しいアトランティスとソドムのイメージを反映していた。


* 以上の議論を踏まえて、黙示録17:3-5に戻ってみよう。

 ≪御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚す数々の名で覆われ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。この女は紫と赤の衣を纏い、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、その女の額には、一つの名が印されていた。【奥義「大いなるバビロン、淫婦どもの母、そして地の憎むべきものらの母】≫

* 野獣に乗った女性は全ての淫婦の母として、忌まわでことと姦淫で満たされた金の杯を握っている。姦淫と売春は真の神に対する不忠を示す聖書の比喩であり、他の神を礼拝することは夫々が選んだ売春婦(神)と寝ることと見なされた。これは旧約聖書の多くの個所で示されているが、特にホセアとエゼキエルは最もしっかりとその事を語っている。≪また彼女が耳輪と宝石で身を飾り、その恋人たちを慕って行って、わたしを忘れ、香をたいて仕えたバアルの祭の日のために、わたしは彼女を罰すると主は言われる。≫(ホセア2:13 )≪人の子よ、あなたはアホラとアホリバを裁くのか。それならば彼らにその憎むべき事を告げよ。・・・そこでわたしは言った、彼女と姦淫を行う時、人々は姦淫を犯さないであろうか。≫(エゼキエル 23:36 ,43 )淫婦と姦淫のイメージがはっきりと示しているのは、バビロンが、カインとアトランティスから始まった古代の多神教の比喩であり、洪水後世界にバベルにおいてヘルメスとニムロドによって再導入されて開花した多神教のイメージである。

* もう一度黙示録18:2-3がこの宗教の本性について語らねばならなかったことを読んでみよう。≪大いなるバビロンは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣窟、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣窟となった。すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得た」。≫ そのバビロンが未来世界の中心地となり、淫売宗教の巣窟となるだろう。この点で全く誤解があってはならない。


* バビロンを表す他の活写は「忌まわしい事」という言葉である。それは金の杯に満たされている。アンガー聖書辞典は「忌まわしい事」を「不潔な」事、特に「道徳的意味で攻撃的な」事を示す語として用いられ、「誇りの吹聴、大言壮語、邪悪な犠牲、偶像崇拝の腐臭がする儀式などの罪の実践」と規定している❼。これは終末の大宗教の描写としてピタリである。バビロンは豪華な義の装いに覆われ、美と富と力と偽りの希望によって讃美された、嘘の上に建てられるだろう。このバビロンは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教を含む世界の全ての宗教を集合した普遍的光明宗教として現れるだろうが、しかしホントはバビロンやアトランティスの古代の偽宗教である。それはイエスをキリストとすることを拒否し、真の宇宙の神を神とすることを拒否するだろう。

* 我々はこの強力な宗教/都市国家が行使する権力と影響力を過小評価してはならない。≪さあ、来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。・・・ あなたの見た水、すなわち、淫婦の座っている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。≫(黙示録17:1 、17:15 )この都市国家/宗教は全ての民族、王たち、国家の上に君臨する王国の女王として座すだろう(イザヤ47:5)。バビロンは世界ビジネスの中心地、力ある普遍的新宗教の中心地となるだろう。バビロンの栄光は豪奢で、その権力の裁定の邪悪さは前代未聞で、その権威を自らの上に置くだろう。国々は絶望的に酩酊し、いつもほしいままに飲み、恥知らずにも忌まわしい事の杯に酔いしれ、全く酩酊して、その淫婦の後をよろめきながら付いて行き、彼らの破滅に足を取られるだろう。バビロンは絶対権力によって、諸民族と国家と彼らの商業と彼らの宗教を支配するだろう。

* 我々はこの都市とその宗教が何であり、その中心は何処にあるかを定めることが出来る。まず、黙示録の書かれた時代のことを考えてみよう。それはローマ帝国の支配した時代だった。ローマ帝国はあえて逆らう者たち、どんな形にせよ批判する者たちに対する抑圧において無慈悲だった。ローマに対する反乱、批判と見なされた書き物は暗号のベールや秘密の覆いの下に隠された。ユダヤ人には、これらの暗号がPeshurとして知られていた。比喩的名前が微妙な箇所や名前に適用され、ローマとローマの同調者からその真の意味が隠された。ユダの著者たちはローマのことをバビロンとしてペシュールで著わした。

* 思い出すかもしれないが、ベロッソスはカルディア人祭司がバビロンをアトランティスの比喩として用いたと記し、また、Frank Josephは聖書がツロとバビロンをアトランティスの比喩として用いたと信じている❽。たぶん比喩的にはそうだろう。しかし、聖書の章句が未来の終わりの時のバビロンの預言として用いられていることは確かである。ニューエイジにおいて終わりの時と定められた新しい未来の比喩的なアトランティスの町とアトランティス帝国は比喩的にバビロンと呼ばれているが、本当はローマの町のことであろう。

* 最後に、黙示録は未来のバビロンについてそれが誰であるかをもっと詳細に規定している。≪ ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女の座っている七つの山であり、また、七人の王のことである。≫(黙示録17:9 ) 世界中で七つの丘/山に座す町はただ一つ、ローマの町である。そのローマはビジネスと宗教の世界の首都となるだろう。それは未来のユートピアの中心であり、世界政府とそれに付随する共同機関の根拠地となる。ローマは全ての世界政府に必須の機関を収める、未来の世界政府が支配する場を提供するだろう。バビロンはローマとなって、あらたに再生されたローマ帝国の新たな未来の首都となるだろう。

* 世界性を帯びた一つの教会が七つの丘に一つの都市国家として既に座している。それは歴史的偶然の一致としてとても興味深い逸話ではなかろうか? この都市国家はまた普遍宗教としても知られている。それはもちろんヴァチカンである。カトリックの字義は「普遍的」という意味で、ローマカトリックを普遍教会と訳していることもまた同様にとても興味深いことではなかろうか? カトリックの成立当初から全く悪魔的な何かが非常に説得的に突き刺さっていると思われ、また世界の他の全ての宗教との協力を広げて行き、真に内部に全てを包含する普遍教会となることが予期される。

* わたしは現在のカトリック教会が未来の淫婦宗教だと言っているのではない。ただ、カトリックの聖域内部で悪魔的権力奪取を内部から行われて、未来の淫婦宗教の萌芽となる器具を抱いているだけである。未来のバビロンとはまさにローマである。

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次回 : 第45章 第三帝国内部からの諸考察
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