アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/05/07 (火) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/05/07 (火) 💖💓💛💖🌈

● 第一日課:使徒1:1-11
 1:1 -2テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。  1:3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。 1:4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 1:5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」  1:6 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。 1:7 イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。 1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」 1:9 こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。 1:10 イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、 1:11 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
 
:今週のテーマ【復活の主は万物の王となられた】

【聖句断章】 1:1 -2
テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。  
    
@ ルカは福音書を第一巻として著わした。それは、イエス様が宣教の開始をされてから、弟子たちを聖霊によって此の世に宣教する者として任命され、それら全ての業を終えて、天に上げられるまでの一連の出来事がその内容である。その最後の部分が福音書の終わりとこの使徒言行録の始めに重ねられて、また、視点を変えて描かれている。

* 福音書の終わりでは≪24:50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。 24:51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 24:52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、 24:53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。≫

* そして使徒言行録始めでは≪1:9 こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。 1:10 イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、 1:11 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」≫

* 両者ともに昇天の出来事は「天に上げられる」と受身形で語られ、受肉から始まる全ての出来事の締め括りの出来事が徹底して天の父の采配の下に行われたことを指し示している。復活の出来事もそうである。「上げられる」と受身形であり、それらすべてが天の父のご計画に対する御子の従順の結果であることを示している。

* そして今使徒言行録では昇天の出来事の描写がさらに≪彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」≫と付加されている。それは復活の主の昇天が単にそれで大団円を迎えて終わるのではなく、新たな始まりの端緒であることを示そうとして付け加えられている。それが第二巻として別建てで著わす使徒言行録である。

* そこで二人の天使が主の再臨を予告する務めを果たす。使徒言行録はその主の再臨に至るまでの地上の出来事へと読者の目を向けさせる。それは聖霊に導かれた宣教の時代の開始である。復活の主イエス・キリストは弟子たちに聖霊を与えることを約束される。その時の記念日が来週の聖霊降臨の記念日である。聖霊が降るまであなたがたはエルサレムで待っていなさいと、差し迫ったその時のことを予告される。≪エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。≫ 聖霊降臨の告知である。復活の主があらゆる重要な事柄について弟子たちに噛んで含めるように丁寧に伝えた後、全てが終わって、栄光のうちに雲の間に消えて行かれた。そしてその後について使徒信条は「全能の父の右に座し、生きた者と死んだ者とを裁くために再び来られる」と、初代教会以来の伝統の告白を繰り返し、ルカの描写と同様に再臨信仰が始めから存在したことを証明している。

* その再臨の時期がいつになるのかは初代教会の信徒において大きな関心事であった。ルカはそのことに触れて、≪父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。・・・≫とのイエス様の言を伝える。主はそれは「子であるわたしにも分からない」と言われる。今世界中でXデイがいつになるのかについて、多種多様な意見が飛び交って、人心を惑わすほどである。終わりの時についての人間の議論には限界がある。それはどの時代においても、神の永遠の世界と人間の有限の世界の隔てである。

* ただイエス様が委託された命令は、≪あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。≫である。それだけが確実な事柄として告知される。この使徒言行録最初の個所で重要なことはそこである。私たちが復活の証人となるのは、聖霊の賜物を受けてである。これが初代教会以来の彼らの体験した証言である。

@ 帰天されて御父と共に王となられた主は私たちを此の世での悪に打ち勝つ霊の戦いに派遣される。その働きのための大いなる裏付け、支持、保証人、擁護者が聖霊である。

* イエス様は「主の祈り」の中で「天に成るごとく地にも成させて ください」と祈ることを教えてくださった。そのイエス様が今や帰られ、「御父と共に万物の王」として統治される時、今なお地にある私たちは、イエス様の働きを引継ぎ、更に拡散するために、今度は「御父と御子の天」との間で「御国を来たらせたまえ。御心が天に成るごとく、地にも成らせたまえ」と祈る。その天と地の間には強い絆がある。それが我々の働きを支える裏付けである。

💓その裏付けが聖霊である。その聖霊が降る時、私たちの活動する場が天と近く結ばれて、神に自由にされた自由な人々が活躍する時が来る。聖霊はそれらすべてを結びつける絆である。裏付けであり保証のしるしである聖霊は遍く全ての人に与えられる神の霊である。特別な人々のための霊ではない。

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