アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/01/18(木) | ブログ 太陽と共に始めよ

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● 第二日課:1コリント7:29-31.
 7:29 兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、 7:30 泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、 7:31 世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。
 
 :今週のテーマ【新しい世界への招き】

【聖句断章】7:29
兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、 ・・・
    

● 「定められた時」とは終わりの時のことである。それは同時に私たちの新世界への招きでもある。終わりの時にはそのための産みの苦しみがある。その時、生き残るために【無くてはならないものは多くない。否、唯一つである】と主は言われる。それは天(上)の輪(和)と地(下)の輪(和)の接合/密着/一致である。それのみである。その他のものは全て副次的なもの、追加的なもの、【添えて与えられるもの】である。

* わたしたちは余計な副次的な多くの事(所)に注意を払って、肝心のポイントに対する意識が、そしてそれ故、配慮が欠けていたのではないか、とパウロは言う。≪妻のある人はない人のように、 泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです≫ :  余計な事とは此の世の事全般であり、その具体例としてパウロは結婚の事、妻の事(夫の事)、商売の事、それに係る金のこと、などなどであった。それらは人間生活の昔も今も大して変わらない。

* おもしろいのは彼の挙げている中にある≪泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように≫の勧めである。人生は正に泣き笑いの事である。それはいつの世でも全く同じである。だがパウロも、そしてまた、ペトロを初めとする使徒たちも、イエス様の真実の弟子たちはみな、それらを過ぎ去るものとして、執着することから解放されて、イエス様に直ぐに従うことができたことである。それが復活のイエス様と出会ったパウロの結実としての聖霊の賜物だった。また何よりも、イエス様の母マリアが一番の良い例である。彼女が此の世の事に拘っていたら、イエス様はこの世界に誕生することが出来なかった。仏教的にも不動心という勧めがあるが、人類共通の根本姿勢である。

💓     【新しい世界への招き】に即応できる霊的姿勢は聖霊の賜物であり、それは、沈黙 の中で、神とわが魂 との一致/一体に導かれることである。これが新世界への招きを受け入れるペトロの鍵である。

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