アメブロ「太陽と共に始めよ」20240117 | ブログ 太陽と共に始めよ

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翻訳:水曜特番
Genesis 6 Conspiracy : How Secret Societies and The Descendants of Giants plan to enslave Humankind
 by  Gary Wayne  2014 imprint of Deep River Books
 『創世記6章陰謀 :人類奴隷化を企る秘密結社と巨人の子孫たち』
第三部 【アナクの子孫たち : その血脈と契約】第25章 アマレク人
 
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♠ その25:2023/6/9(金)289~297/1004頁

第三部 【アナクの子孫たち : その血統と契約 】
💓  第25章 :アマレク人

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≪モーセは祭壇を築いて、それを「主はわが旗」と名付けて、言った。「彼らは主の御座に背いて手を上げた。主は代々アマレクと戦われる。」≫
                                                                        出エジプト17:15-16


* 創世記14章は何故、アブラハムの時代のアマレク人を含んだ巨人との戦いを描いているか? アマレク人が民族表に載っているアマレクの子孫だとすれば不可解である。というのは、アマレクはエリファズの子であり、エリファズはエサウの子、エサウはイサクの子、イサクはアブラハムの子だから、どうしてアブラハムの時代にアマレク人が形成されるのだろうか? この民族の父アマレクは三世代も前の人間である。それでも創世記14章の記事ははっきりと、アマレク人をアブラハムの初期の民族として記録しているのである。この記事が提供する唯一の手がかりは、アマレク人はアモリ人のようにレファイムとして名が挙げられ、そう考えられていたことである。

* セイルの地に住んでいたアナクがホリ人と言われていたことは、申命記のところで議論した。創世記の記事が後代に書かれたことを考慮すれば、その時点でアマレク人の名が「ホリ人」の代わりに挿入されたことはありうる。アマレク人もホリ人もともにセイルがその故地と考えられていた。エサウの子孫がホリ人をアマレク人に入れ替え、ホリ人を排除した。「ホリ人」のような馴染みのない名前の代わりに「アマレク人」のような親しい名前が挿入されたことは大いにありうるが、しかし私は実際にそうなったとは思わない。しかしアマレク人とホリ人を結びつける洞察は興味深い。もしかすれば、両者は実際に同じ種族だったのかもしれない。

* この洞察の光の中でサムエル上27:8をもっと詳細に見てゆこう。≪ダビデとその兵は上って行っては、ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲った。昔からこれらは、シュルからエジプトの地に至る地方の住民であった。≫ この記事は約束の地の占領から400年も経って描かれた逸話ではあるが、役に立つ。サムエル記上のこの記事はアマレク人がエサウの子孫ではないことを示している。そうであっても、アマレク人はセイルの地でエサウの息子らと一緒に住んでいた時、アマレクの名を取り入れたと思われる。セイルはShurシュルからエジプトに至る土地であり、エドム即ちエサウの地としても知られていた。エサウの子アマレクはその民と共に不詳の種族と融合し、大アマレク族を形成したことを思い出していただきたい。このことがホリ人という古の巨人族の故地として知られた場所と同じ場所で起こったのである。

* サムエル記上はアマレク人と言われる民が昔からシュルあるいはセイルに住んでいたと記している。昔とは洪水前という意味である。アブラハムの時代はその昔に該当しない。「昔、古い古い、以前の時代、ずっと昔、我々の時代よりも前に」とはいつも洪水前の時代を指している。この理解は、シラ書、バラク書、知恵の書、申命記、詩篇、箴言、イザヤ書、エレミヤ書、エズラ書、ダニエル書、1ペトロ書、2ペトロ書において強調されている。そこでは「昔」とはいつでも洪水前のノアの時である❶。このことはアマレク人が洪水前ネフィリム時代の巨人族として存在していたことを暗示している。換言すれば、彼らは洪水前も後もネフィリムだったということである。

* アマレク人はウトナピシュティムかギルガメッシュの子孫の巨人族だろうか? それとも、「不朽の種族」と呼ばれる堕天使によって洪水の大災厄を免れた巨人族の最初の流れだろうか? アマレク人はEnikidenエンキドゥやソドムのものたちのように、洪水後、怨念の堕天使が生み出した種族ではないように思われる。もし「昔」が洪水前でないなら、アブラハム以前の時代、それもおそらく洪水直後の時代だろう。いずれにしても基準となる民族表の年代記よりも前である。しかしこれらをみな確かなものにするためには、アマレク人は疑いもなく生き残りのネフィリムの純粋系だったとする主張を裏付ける証拠をもっと拡張しなければならない。民数記はこれを裏付けるもっと多くの証拠を記している。

* ≪しかもアナク人の子孫さえ見かけました。ネゲブ地方にはアマレク人が住んでいます≫(民数13:28-29)。この句節はアマレク人をアナク人と呼んでいる。この句節はアナクの子孫とアマレク人を一息で描いている。ちょうど洪水物語において洪水とネフィリムを同じ物語の中で一緒に描いているように。それはアマレク人をアナクの子孫と明示的暗示的に結びつけているとしかわたしには解釈できない。民数記のこの句節では、暗示的にアナクの子孫がアマレク人の間に住んでいたと語るよりもむしろ明示的に、アマレク人は実際アナクの子孫であると語っているようだ。民数記13:22には「 彼らはネゲブを上って行き、ヘブロンに着いた。そこには、アナク人の子孫であるアヒマンとシェシャイとタルマイが住んでいた」と語られている。この個所と士師記とヨシュア記では3人のアマレク人/アナク人の王名が明記されている❷。

* ネルソン聖書事典は、アヒマンがアナキムの三人の子らの一人で、ヘブロン/Kiriath Arba キルヤト・アルバに住んでいた有名な巨人族アナク人だとしている❸。ヨセフスは、ヘブロン/キルヤト・アルバは巨人たちの有名な拠点で、巨人たちは大きく、人間の姿とは異なる姿をしており、見た目も声も人を驚かせ、怖がらせ、恐れさせた、と書いている❹。彼らはみな、40年以上後に、ヘブロンでカレブに倒された❺。三人の王はみなアナクの直系の子たちで、アナクはアルバの子、そしてアルバはアナク系のレファイムの始祖だった。

* 三人の巨人の名はみな彼らの大きさや行状を表わしていた。三人の巨人のうち最も強いアヒマンの名の意味は「山の傍に立っているような」で、シェシャイは「大理石のように強い」、タルマイは「陰謀を残す大股」❻、そしてフリ人は「大きい」という意味である❼。ほかのユダヤの伝説でもアナク人は途方もなく大きく、恐れさせるほどの人間型巨人として記されている❽。伝説ではさらに、アナク人の娘たちも、ものすごく大きく力ある巨人として記されている。三人の巨人が支配していたヘブロンは実際、古のアナクの子孫の出身地として有名だった❾。さらなる証言として、エジプトの記念碑にヘブロン出身の巨人族のことが刻まれている、タルマイの子孫であろうTeanmahuが、光る肌の非常に背の高い巨人族として描かれている⑩。

* ヘブライ伝説によれば、アナクはまた、洪水前時代の多種多様な半神と同様、非常に長寿の半神だった⑪。アマレク人が本当にアナク系の純粋分枝だったことが可能だろうか?それとも別のレファイムで、アマレク人の間に住んでいたホリ人系の巨人族だったのか? 聖書記録はこの点についてはっきりしない。聖書が語っている唯一のことは、アマレク人が或る種のネフィリムだったこと、特にアナクの直系の子孫だったことを、ほのめかしつつ繰り返し繰り返し示そうとしてことである。

* 最後に、民数記24:20には、アマレク人が諸民族の最初に記されており、ネフィリムがそうだったように、彼らが洪水を生き残って洪水後の戦争の民を形成していったのかもしれない。もしそうなら、このことはアマレク人が本当にレファイム/原住民だったとの条件を満たすであろう。聖書がアマレク人に関して書いている歴史は全て彼らがノアの系統とは別の古の民として洪水前に遡る民であったことを指し示す方向に向かっている。アマレクもネフィリムも洪水を生き残ったが、彼らが同一の民ではないことを暗示しているのは偶然をはるかに超えている。特に民数記13章では三人のアマレク人の王たちがアナクの子孫であるとはっきりと語られており、一方、それぞれのアナク人についてネフィリムの子孫と記されている。

* ここでしばらくの間ホリ人に戻ってみることは価値ある道草である。アンガー聖書事典はホリ人について、彼らは別の古の謎の民で、創世記の巨人との戦いで有名なアッシリアの王 Kedorlaomer/Chedorlaomerケダラオメルに敗れたと描かれている⑫。ホリ人は民族表に載っている謎の首長たちで、その中にAnahアナという人物も含まれていた。彼がホリ人を治めていた。一般的に言えば、5王同盟はヨルダン平野のアモリ人から成り、ソドム、ゴモラ、そしておそらくセイルのアモリ人たちが含まれていた⑭。ここで興味深いのは、前述のように、聖書では説明のないままホリ人に代えてアマレク人が結びついて点である。

* 実際、この戦いは五王対四王の戦争というよりも「対巨人戦争」と呼ぶほうがふさわしいように思える。何故なら、この拡大戦争はネフィリムの支配する王国同盟に対する戦いだったからである。その5王国とは、アシュテロト・カルナイム のレファイム、ハムのズジム人、シャベ・キルヤタイムのエミム人、セイルのフリ人、そしてハツェツォン・タマルのアモリ人である。この拡大戦争は全巨人族を巻き込んだ戦いだった。そこにはおそらくアンモンのザムズム人、ガザのアビム人、ヘブロン/キルヤト・アルバのアナク人も含まれていたであろう。みんなレファイム民族だった。そこに何らかの理由でセイルの不明なホリ人も含まれていた。

* ホリ人は「セイル」と呼ばれる地域にエドム人が定住する前に住んでいた人々である⑯。彼らは民族表に説明なしで挙がっているセイルの息子らである⑰。セイルに関して異常なことは彼が民族表で誰かの子孫として描かれていないことであり、それは、別の異なる年代記、おそらくネフィリを暗示している。民族表にはセイルの名は何処からも入れ込まれていない。それはたぶんエドム人の年代記からのものとしてこそ意味が通る。エドム人は洪水後の悪名高い巨人族と混血した人々である。創世記36:20-30には、ホリ人がエサウの子孫の巨人族で、民族表(1歴代誌1:38-42)に挙がっているセイルの子らの一人として記されている。エサウは凄い巨人のいることで最も有名なヘブロンを去り、父イサクの死後、セイルに定住し、そこで彼と彼の民は生活し、セイル/イドメア/エドム(イドメアはエドムのギリシャ語読み)を支配した⑱。

* これら全てのことが明らかにしているのは、聖書ははっきりと、エサウの子孫が実際、ノアの系統との血統的つながりのないセイルの不詳の原住民であったホリ人と交わり、エサウの子アマレクに由来する名を冠した大アマレク族を形成したか、その逆かであることを示していることである。 この記事はエドム人がホリ人、アマレク人、そして最も興味深いのは、アナクの都ヘブロンのアナク人ら、巨人の間に住んでいた事実に光を当てている。である。ヘブロンはエドム人がセイルに住もうと決意する前から巨人アナクの都だった。ヘブロンでのエドム人との巨人との関係は、彼らがセイルでアマレク人、アナク人、ホリ人の間に住む決断をしたことと何らか関係があるのだろうか?

* ネルソン聖書事典はアマレクの名がアマレク人からもらった名であることを確証している⑲。それは、アマレクとその子孫がノアの種から出たが、ネフィリムと一緒になって身を汚してしまったことを暗示している。アンガー聖書事典はそれに同意し、アマレク族はセイルの原住民だった巨人ホリ人と交わり、大アマレク族を形成したことを暗示している⑳。ホリ人はアマレク人として知られるようになった古の巨人原住民であった。彼らはフリ人として歴史に知られるようになった古の文明である㉑。このことはフリ人の名の由来とその年代を説明している。フリ人はザクロス山系からメソポタミアに紀元前2000年以前から入ってきた。彼らは以前アーリア人の分派Maryannuマリャンヌを自分たちの部族に迎え入れ、支配階級への道を驀進し、後にメソポタミアのあの有名なミタンニで上流階級と下層階級を形成し、ミタンニ帝国が終焉を迎えた後、下層階級がフリ人となった㉒。

* エサウと彼のアブラハム王家の子孫がホリ人族と結婚して、ホリ人となった。それが創世記と歴代誌上に載っている謎の不可解な首長たちセイルの子らである。アンガー聖書事典とネルソン聖書事典はセイルについて、「荒れた肌で毛深い」と伝えており㉓㉓、それはネフィリムが荒れ肌で毛深い肌で有名だったのと同様であり、セイルとホリ人が正にネフィリムだったことを暗示している。実際、ヨセフスは、ヘブライ人は逞しくて毛深い肌の者を誰でも「セイル」と呼ぶようになったと言っている㉔。ここでもホリ人、反徒エドム人、ネフィリムが相互に結びつく。

* セイルの息子ロタンをとおしてセイルはホリの祖父である。そのホリがおそらくホリ人とフリ人の名のルーツであろう。セイルがホリ人と見られていたことを思い出してほしい。ちょうどティムナがホリ人と観られたように。ティムナは後にエリファズと結婚した。そして彼女はホリ人ロタンはの妹だった㉕。エサウの孫エリファズは巨人のホリ人/アマレク人のティムナと結婚したのである。この分枝のエドム人がネフィリムのホリ人と合体して大アマレク族を形成した。実際、後のホリ人の首長たちはアマレク人として知られ、エサウとイシュマエルの娘バセマトとの子孫として明記されている㉖。

* 民族表からの他の手がかりは、アナである。「アナ」がアナクの名の由来、さらにはアナク人の名の由来であったのかもしれない。最初のホリ人首長の一人アナ㉗は息子ディションと娘オホリバマの二人の子をもうけた㉘。オホリバマは後にエサウと結婚してエサウの三人の妻の一人となり、アマレク人/ホリ人の首長たち、エウシュ、ヤラム、コラを産んだ㉙。さらに別のエドム系巨人族を産んだ。このことでエサウとホリ人/ネフィリムの女性オホリバマを通してネフィリムのホリ人とエドム人と混血したことが確認される。それがおそらく大アマレク族を含むまた別の巨人族分枝を形成したのだろう。全ての背信の元はアマレクだった。

* ヨセフスによれば、エサウはカナンや他の(ネフィリムの)妻たちを娶ることを習いとしていた。おそらく創世記が記している以上の妻や妾を取っていたことであろう。それは父イサクの承認を得られなかった。後にエサウはイサクを喜ばせようと和解の供え物としてイシュマエルの娘オホリバマを娶った㉚。エサウはカナン人の妻アダの間の子をもうけ、エリファズと名付けた㉛。ヨセフスによれば、エリファズは5人の息子をもうけた。テマン、オマル、セフォス、ゴタン、ケナズである。エサウとアダの間の息子エリファズはティムナという名のホリ人を妾とし、彼女はアマレクを産んだ㉝。ここから第三の不詳のエドム巨人族がエリファズとティムナからさらに始まったと結論付けられるかもしれない。

* ヨセフスはアマレクがエリファズの正当な息子とは考えていない。何故なら、彼はホリ人/ネフィリムの妾ティムナから生まれたからである㉞。ティムナはホリ人の大酋長ロタンの妹である㉟。だからアマレクはエサウの孫にあたる㊱。ヘト人(ヒッタイト)も北方インドヨーロッパ人で、漂泊しながら小アジアを通って中東に紀元前2300以前に下ってきた種族であり、後にカッシート人の将軍たちと同盟した謎の(おそらくネフィリム)アーリア人の一部である。彼らは東に移住してインドに至ったアーリア人の一部である㊲。このことはアマレクがエドム人とネフィリムの混血である説明となる。ホリ人首長のネフィリムの妹との混血、そしてアダからのヘト人血統のアーリア人との混血、この二重の混血がアマレク人をネフィリムとして成立させたとするもう一つの視点である。しかしアマレク人はたぶんアルバ以前の元祖純粋アナクだったであろう。

* ウトナピシュティムやギルガメッシュの子孫の「不朽の種族」のようなネフィリム分派の一つがアマレク人のルーツだったのかもしれない。実際、ヨセフスはセイルの原住民(ネフィリム)のしるしであり覚えだったアマレクの名を取ったアマレクとティムナの子孫の王朝のことを記している㊳。ここにもアマレク人が洪水前の種族であったことが暗示されている。このことはまたかつてアマレクが歴史からも聖書からも失われた名を持っていたことを意味している。そしてアマレク人が正に洪水前の生き残りの巨人の純粋原住民だったことを意味している。これら全てのことはアマレクという名前が洪水前の謎の不可解な遺産を受け継いでいることを暗示している。

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次回:第26章: エトロとカレブ
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