今回は
『虚弱体質を手放すまでの自分史』の3回目です。
北海道の農場アルバイトから
東京に戻ってきた私は
『自分の生きがいを仕事に見出さなくてもいい』
そう思えるようになり
とても気持ちが救われました。
大学を卒業したら
社会人として働くのが真っ当な道…
それが当たり前なのだから
自分もその道しかないと思っていたのですね。
でも、仕事は長く続くものはなかったです。
職を転々とし
次は頑張って続けよう!と思って転職しても
心と身体のバランスを崩したり
やりがいを見つけられなかったりして
自分の将来が不安でいっぱいになっていました。
仕事を頑張りたいのに頑張れない自分は
この世の中で生きていけるのだろうか?
そんな不安がいっぱいの中で、
北海道の農作業の経験が
私に
『仕事に自分の価値を委ねなくてもいいんだよ。
あなたには他にできることがあるんだよ。
まだ出会ってないだけだよ。』
って教えてくれているように思えて
安心したのでした。
その安心を
東京に戻っても感じていたくて
片道2時間かかる自然豊かな場所に畑を借りて
見よう見真似で家庭菜園を始めました。
そして、児童養護施設の調理員として働き始めました。
『仕事をしている自分』が私なのではなく
畑しながら仕事も軽やかにしている自分が
本来の自分…
自分ってひとつじゃない^^
そう思いながら勤務していたら
とても謙虚に
かつ人間関係もスムーズで
畑も仕事も楽しく過ごせたのです。
仕事とライフワークのバランス…
この感覚が私なんだ!!
そう思えたら仕事もプライベートも人間関係も
今までより上手く回り始めた気がします。
児童養護施設の調理員の仕事では
本当に多くのことを学ばせていただきました。
たくさんの学びの中で
一つ、ここで綴らせていただきます。
ぶっちゃけ、
児童指導員の経験はあったものの
調理資格も経験もない私の料理を
子どもたちは食べてくれるだろうか?
そんな不安も抱えながらも
当時は本当に必死に大量調理の現場に居続けました。
作った料理がどのように食べられているか
どんな感想をいただけるか
自分の出来栄えの採点と感想がリンクしているだろうか?
そんなドキドキを一定期間過ごしてみてわかったことがあり
それが今の私の調理に携わる原点となっています。
それは
調理スタッフの内側からのエネルギーを
子どもたちは汲み取り、感じ、その上で食べている…。
そう分かったのです。
焦がしてしまって苦い野菜炒めや
見た目がイマイチのおかずたちを申し訳なく出した日でも
よく食べてくれる時も多くて…。
逆に
ちょっと意地悪な考え方をする調理スタッフの担当の日は
私は美味しいと思って試食していても残食が多かったり…
子どもたちは
「今日は誰がご飯を作るのか」
をとっても気にしていたことを よく覚えています。
私の料理は
正直、当時は、意地悪な考え方をする調理スタッフの作る料理より
素人感満載でした。
でも、なぜか「ほっとする」とか言ってよく食べてくれたのです。
食べる人にとっては
買い物と一緒
セッションと一緒で
「誰の作った料理なのか?」 が
メニューよりも、味よりも、大事なんです^^
だから
自らのエネルギー整えて
内側を満たしている人が作るご飯は
自分や大切な人の心身を整えるには最高で最強なのです。
家庭料理では
レストランみたいにいつも美味しいご飯を作る必要は、ないですしね!
自分を整え、自分を満たし
そして、ただ季節を感謝し料理する。
ご自身のため、大切な人のため、
自分を満たすことをしつつ
自信を持って、そのまま料理していただけたら、それでいいのですから^^
『虚弱体質を手放すまでの自分史』は次回も続きます。
次回は、出産を機に食の見直しを突きつけられた現実について
お伝えしていきます!
ここまでご覧いただき、ありがとうございました!
+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*
「食卓から始まる いのちを未来へつなぐメールマガジン」
パパッとできる健康ごはん
自然に沿った家庭料理に興味がある方はご登録下さい。
ご登録ページはこちらです♪(↓クリックください)
https://resast.jp/subscribe/98934/1569538