私は
つい最近まで
虚弱体質は
生まれつきで
仕方がないこと
一生付き合っていかなくてはいけないんだと
決めつけていました。
だから食事に気をつけることもなく
何も考えずに食事をしてきて
自分を大事にせずにいた
そんな私に
転機が訪れたのです。
29歳のとき。
当時の勤め先に行こうとすると
体調が悪くなり
勤務を続けることができなくなったのです。
自信のなさから
当時の仕事を続けることが
限界に来ていたのです。
仕事を辞め、
当時お付き合いしていた方とも別れ
夏の北海道に行きました。
とある企業の農場で
住み込みのアルバイトをさせてただいたのです。
物質的に便利な都会育ちの私にとって
北海道の暮らしは
カルチャーショックがたくさん!!
今までの常識がどんどん変わっていきました。
今までは、ほしいものはすぐにお金を出せば手に入る生活。
買い物も徒歩圏内で不自由は全くありませんでした。
でも、北海道の仕事場の寮はすっかり山の中。
日用品を買いに行くのにも
車が無い私は
片道40分を歩き、買い物に行きました。
でも、不自由は人とのつながりを生みます。
すぐに、寮の仲間が車を出すときに便乗させてもらえるようになり
『たすけあい』からコミュニケーションが生まれ
生活が楽しくなっていきました。
朝早く目覚めれば
窓の外にはリスがいて
自分が自然の一部であるという感覚を感じました。
そして、広大な畑作業は
一人ではできません。
共に働く仲間と協働しながら
目標を達成していくことにエネルギーを感じると共に
北海道の田園風景の景観を作る役割も担っていて
仕事を通じて
一人一人の行いが
地球の未来を作り出しているんだ
ということを学ぶことができました。
もちろん
時間は未来から流れてくるので
『どんな未来にしたい』から
今を選択していく
という視点が大事になってきますが
自分の行いが自然を作っている…というつながりや一体感は
私に生きる希望を与えてくれました。
なぜなら
北海道に行くまでの自分は
何かの役に立つ、肩書きあっての自分に
価値を感じていました。
誰かの役に立つこと、優しい自分でいることで
人から認められる
だから、そのことに一生懸命になっていました。
でも、大地の上では
肩書きは何の必要もありません。
ただただ、私がここで何を選択し何をするか、だけなのです。
自然と共にただ私があるだけ。
仕事に拒否反応を示した私への
無力感を抱えたまま向かった北海道。
仕事が務まらない私には何も無い
と、
勝手な思い込みが作動していました。
でも、誰にでも大地や自然はそこにあり、恩恵を受けている。
そして、まだまだ私にはできる事があるはず!
そう思えるようになりました。
北海道が冬の気配を感じると同時に季節労働は終わり、
すっかり元気になって東京に帰ってきました。
そして、
児童養護施設の調理スタッフとして働き始めます。
今まで仕事が続かず、職を転々としてきた私が
初めて5年続いた仕事と巡り会えることになります。
続きは、次回にまたお会いしましょう。
+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*
「食卓から始まる いのちを未来へつなぐメールマガジン」
パパッとできる健康ごはん
自然に沿った家庭料理に興味がある方はご登録下さい。
ご登録ページはこちらです♪(↓クリックください)
https://resast.jp/subscribe/98934/1569538