都道府県とは、一都一道二府四十三県のことを言いますが、江戸から明治になって廃藩置県が行われ3府306県が誕生しました。つまり藩がすべて県になったのです。廃藩置県により地方に分散していた権力を中央政府に集め統一化することで統治しやすくし、西洋との対等な付き合いを目指したのです。
現在は大阪と京都だけが「府」ですが、戦中までは東京も東京府でした。では何故、京都、大阪、東京だけが「府」になったのでしょうか。実は明治政府は当初都をどこにしようかと悩みました。行政の中心である「江戸」か、天皇が住む「京都」か、経済の中心である「大阪」か。悩んだあげく「江戸」を「東京」変え、ここを首都にすることにしました。しかし京都も大阪も重要な存在です。なので特別に扱って「府」と呼ぶことになったのです。その後、県の分割や統合が進み、3府43県で定着しました。
では何故、北海道だけが「道」になったのでしょうか。当時、北海道はまだ開拓の途中で「蝦夷地」と呼ばれていました。明治2年になって初めて北海道と呼ばれるようになったのですが、その時に参考にされたのが「五畿七道」です。五畿とは、江戸時代まで都があった京都の畿内と呼ばれる地域を5つに分けて「五畿」それ以外の地域を「東山道」「東海道」「北陸道」「山陰道」「山陽道」「南海道」「西海道」の七道と呼んでいました。そこで当時の人はまだ開拓地だった蝦夷地の名前を決めるのにこんなことを考えました。東と南と西はあるのに北の海道だけがない。ならばこれからは蝦夷地を「北海道」と呼ぼうと。都道府県と呼び方は違いますが、すべて同格に扱おうとされたのです。