記憶 | 田窪一世 独白ノート

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。

 

今から18年ほど前に母が病気で亡くなりました。

ちょうど舞台を目前に控えたころに、

田舎の父から母が危ないと連絡があり

あわてて帰省しました。

 

病院に行ってみると母は集中治療室にいました。

僕が入っていくとそれまで眠っていた母が目を覚まし、

「あら、あんたどしたん?」と言って僕のほうを見ました。

すぐに治療室からは出るように看護師さんに言われ、

あとで医者が持ち直したようだと言ってくれたので、

取りあえず舞台の準備のために翌日東京に戻って来ました。

 

舞台初日数日前、

稽古場に向かう車の中で携帯電話が鳴りました。

田舎の叔父からの母の死の知らせでした。

再び帰省して母の葬式に参列しました。

横たわった母の死に顔を見ても、

なんだか母じゃないような気がしてピンと来ませんでした。

焼かれて骨になった母を見たとき弟は号泣していましたが、

僕はやはりなんだかピンとこなくて泣けませんでした。

 

これはきっと母の死を認めることが、

出来てないからだと自分では思っていました。

そしてそれからもずっと母が死んだことで、

自分は泣けなかったと思っていました。

そう思い込んでいました。ところが、

 

それから何年か経ってかみさんが僕に言いました。

「あなた泣いてたよ」と。

稽古場に向かう車の中で、

携帯電話を切ったあと「ちょっとごめんな」と言って、

車を路肩に止めて、

僕が5分間くらい号泣していたと言うのです。

そして泣きやむと「もう大丈夫」

と言って運転を再開したというのです。

 

これまったく覚えていません。

今でもそのときの記憶は飛んだままです。

たぶん舞台初日を控えて「今は泣いてる場合じゃない」と、

自身の気持ちに蓋をしたのだろうと思います。

 

自分の脳を自分で把握出来ない、コントロール出来ない、

脳の不思議さを実体験した出来事でした。

 

 

▶︎二子玉川