戦国時代末期、
中国地方全域を支配していたのが毛利氏。
四国地方を支配していたのが長宗我部氏。
九州地方を支配していたのが島津氏でした。
しかし、三氏とも関ヶ原の戦いでは西軍に。
皆、破れた後に毛利氏は今の山口県に減封され、
島津氏は鹿児島県に減封。
長宗我部氏に至っては改易。
土佐の国(現在の高知県)を山内氏が治めることに。
江戸時代、山内氏の家臣である上士と、
長宗我部の家臣だった郷士の二重構造が幕末まで続きます。
そして270年後、
この長州、薩摩、土佐(郷士)が立ち上がり、
明治維新の原動力になるのです。
この話を知ったとき、
人間の執念というか怨念の凄まじさに、
僕は思わず唸ってしまいました。
ちなみに徳川家康が亡くなる時に、
この三藩の反乱を恐れ幕府安泰を願って、
まるで睨みをきかせるように、
西の方向に向かって自分の亡がらを埋めた、
というエピソードが残っています。