自主性 | 田窪一世 独白ノート

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。


詰め込み教育にしろゆとり教育にしろ、

勉強の量を増やしたり減らしたりはしてきましたが、

子供たちの自主性を育ててこなかった、

ということでは共通しています。


20年以上、若い俳優たちと接して来て、

それを痛感する場面によく出くわします。

彼らはこちらが驚くほどノープランで人前に立ちます。

自分で考え、苦しみ、楽しむ、

ということをほとんどやろうとしません。

素のままで出て来て、あとは「なんか教えてください」と、

澄んだ目でこちらを見るのです。


俳優の仕事は人間の喜怒哀楽を解放することです。

しかし、社会生活の中では俳優といえども、

それを鬱屈させて生きています。

だからこそ稽古場では人間の本能とか野生とかいったものを、

どうやったら解放出来るのかをみんなで探るのです。

しかし、彼らはまるでブロイラーのように、

従順に、素直に、澄んだ目でこちらをただ見るのです。

「なんか教えてください」と。


あるいは国は、

役人たちはそういう国民を大勢作りたかったのか、

そんなふうに勘ぐってしまいます。

役人たちが自分勝手に、自分たちだけが得をするためには、

ブロイラーのような国民のほうが都合がよいでしょうから。

しかしその結果、日本の国力は、

あきらかに落ちてきているように思います。


以前、テレビのドキュメンタリーで、

生徒たちが自身で興味を持ったことを自由に研究させ、

先生も学校もそれを全力でサポートするという、

京都の高校を紹介していました。

小学校で読み書きそろばんを教えたら、

あとは子供たちの自主性にまかせて学問させる、

ひとつの答えがそこにあるように思います。



▶︎みりん