詰め込み教育にしろゆとり教育にしろ、
勉強の量を増やしたり減らしたりはしてきましたが、
子供たちの自主性を育ててこなかった、
ということでは共通しています。
20年以上、若い俳優たちと接して来て、
それを痛感する場面によく出くわします。
彼らはこちらが驚くほどノープランで人前に立ちます。
自分で考え、苦しみ、楽しむ、
ということをほとんどやろうとしません。
素のままで出て来て、あとは「なんか教えてください」と、
澄んだ目でこちらを見るのです。
俳優の仕事は人間の喜怒哀楽を解放することです。
しかし、社会生活の中では俳優といえども、
それを鬱屈させて生きています。
だからこそ稽古場では人間の本能とか野生とかいったものを、
どうやったら解放出来るのかをみんなで探るのです。
しかし、彼らはまるでブロイラーのように、
従順に、素直に、澄んだ目でこちらをただ見るのです。
「なんか教えてください」と。
あるいは国は、
役人たちはそういう国民を大勢作りたかったのか、
そんなふうに勘ぐってしまいます。
役人たちが自分勝手に、自分たちだけが得をするためには、
ブロイラーのような国民のほうが都合がよいでしょうから。
しかしその結果、日本の国力は、
あきらかに落ちてきているように思います。
以前、テレビのドキュメンタリーで、
生徒たちが自身で興味を持ったことを自由に研究させ、
先生も学校もそれを全力でサポートするという、
京都の高校を紹介していました。
小学校で読み書きそろばんを教えたら、
あとは子供たちの自主性にまかせて学問させる、
ひとつの答えがそこにあるように思います。