明治24年4月20日の夜、
舞踏会が開かれていた鹿鳴館の脇を駆け抜けていく、
女性の姿がありました。
舞踏会に出席していた戸田伯爵夫人の極子です。
彼女は靴も履かず髪を振り乱した姿で、
止まっていた人力車を呼ぶと、
幌を深く下ろさせて走り去りました。
この暴行犯が伊藤博文で、
彼は伯爵夫人をレイプしようとしたのです。
むろん時の権力者が罪に問われる事もなく、
この事件は闇に葬られました。
さすがに申し訳ないと思ったのか、
それとも邪魔者を追い払おうとしたのか、
伊藤はその1ヶ月後、戸田伯爵を、
オーストラリアの特命全権公使に任命しています。
その後も、伊藤の女好きは生涯治らず、
財産はすべて女性につぎ込み、
遺産らしい遺産も残していません。
坂本龍馬や西郷隆盛、大久保利通などといった、
幕末の英雄たちが凶刃に倒れたあと、
幕末の志士にはろくなのしか残ってなかったようで、
明治政府の政治家たちの中には、
素行に問題がある人が多かったようです。