今から20数年前だったと思いますが、
テレビの「アクターズスタジオ・インタビュー」
という番組にアル・パシーノが出演していました。
そして番組の後半でインタビュアーが彼に質問しました。
「演技をする上で俳優にとって大切なものはなんでしょうか?」
その質問に対してアル・パシーノの答えは、
「相手の台詞を聞くことです」でした。
これにはシビれました。
まったく予想外の答えだったからです。
それまで演技と言うのは「何かを表現するもの」
だと思っていた僕に取って、
なんとも斬新な考えだったのです。
あくる日から稽古場でも「聞く」ことにこだわりました。
それ以降、日本でも「聞く」ことは重要視されるようになり、
最近ではあちこちで良く耳にするようになりました。
しかし最近、僕自身はこの言葉に疑問を持っています。
これって日本人には合わないのではないか。
「集中」という言葉に対するイメージが、
日本人は自己の内側や精神統一であるのに対し、
アメリカ人の場合は相手や敵に向かう、ということならば、
この「聞く」というのも鵜呑みにしてはいけないのではないか。
そう考えるようになりました。
アングロサクソンの得意なことは「自己主張」です。
だからこそ相手の意見を「聞く」ことが大事だと思うのは、
つまり彼らが「聞く」ことが苦手だからじゃないのか。
比べて日本人は「聞く」ことが得意な民族です。
たとえば「肩こり」という現象を認識しているのは、
実は世界で日本人だけなんだそうで、
そしてその原因はなんと、
人と会話しているときに頷くことが多いから。
つまりそれが「肩こり」が起こる主な原因なのだそうです。
では、日本人の苦手なことはなんでしょうか。
それは「自己主張」です。
もしくは「相手の心を動かす」ことです。
遠慮しないで相手の心の中にズカズカと入っていく。
そうすれば、相手のことを意識しすぎる日本人。
「聞く」ことはさして難しいことではないはずです。