日本植物学の父と言われ、
多数の新種を発見し命名もおこなった、
近代植物分類学の権威だそうです。
実家は裕福な酒屋だったらしいのですが、
小学校を中退して好きな植物採集に明け暮れていたそうです。
22歳のときに東大に出入りするようになり、
ただひたすら研究を続けました。
途中、先輩教授に大学を追い出されたり、
実家が没落したりするのですが、
とにかく一生を植物研究に捧げた人です。
49歳のときに喀血したり、
自動車事故や、崖から落ちて重傷を負ったこともありますが、
いずれもすぐに治り、
無茶苦茶に肉体を酷使しての研究にも耐えたのですが、
88歳のときに大腸カタルにかかり、
ついに危篤状となり脈が止まってしまいます。
歳も歳なので家族もあきらめて死水をつけることに。
たっぷりと筆に水をふくませて唇に水を入れると、
富太郎の喉がゴクリと動いて生き返ったというのです。
蒼白だった頬にパアーッと血の色がよみがえり、目を開けて、
「なんだか世の中が騒がしいねえ」と言ったそうです。
その後もなんと94歳まで生きて研究を続けました。
ひとつのことに徹して生涯を全うする。
こんなふうに生きて行きたい。
▶︎丸子橋