11月11日(土) JR山陽本線の柳井駅に9:22に集合。
今回は9名の参加者が集いました。
参加費¥1,200とバス代¥360を支払います。
岸田事務局長による本日のコース説明を終え、9:30にスタートします。
先ず、柳井川に架かる宝来橋へ。ここは何度も訪れています。「小瀬上関往還」の橋で、江戸時代に太鼓橋がかかってました。その頃は古市橋、善元橋と呼ばれていました。宝来橋と呼ばれるようになったのは明治15年(1882)です。
宝来橋から白壁の町並みへ入ります。古地図には西へ抜ける道はなかったのですが、昭和になってバイパスとして白壁の町並みが柳井川に繋がってます。
ここに架かる柳西橋を渡ります。
五叉路に出ました。ここから「岩国竪ヶ浜往還」に入ります。
岩国竪ヶ浜往還は、岩国の錦見から平生町の竪ヶ浜まで、全長9里(約36㎞)の往還です。
今日はここから平生町の竪ヶ浜(たてがはま)まで歩きます。
五叉路に道しるべがあります。
嘉永ニ酉三月(1849)と裏面に彫られています。
道標から柳井川土手跡を西へ進む。樋の上交差点を直進したら県道70号柳井玖珂線を渡る。ここから八丁土手へと入ります。(一丁は60間で約100m)土手には街道松があったことが古地図でわかりました。
JR山陽本線の八丁堤踏切を渡り、更に直進すると県道22号光柳井線にでます。ここの築出橋交差点を更に直進すると、大師堂が右手にあります。ここの三叉路で南に行く道が江戸時代初期の小瀬上関往還です。岩国竪ヶ浜往還は直進して、土穂石川(つつぼいしがわ)にでます。ここから川沿いに西へ。
川に大きな岩が出ているのが土穂石です。昨年の6月のブログに出てますが、言われは、昔、貧しい夫婦が落穂(土穂)を拾い、この巨石の上に置き、八幡宮に多年献じた。すると八幡宮の神霊に感応があり、夫婦が富裕者となった。これより後、この神に祈るものは、落穂を岩の上に置いて祭るを常とした故に、土穂石八幡宮の名ありという。
今回も土穂石八幡宮に寄って行きます。
境内から参道を下りると、右手に新庄小学校があります。今日は学習発表会?か何かがあるようで、教室から歌声が聞こえます、昼からバザーなどが開かれるそうです。
ということで、ここでトイレ休憩をします。
休憩後、一の鳥居を見ていきます。前回も見たのですが、元禄6年(1693)に岩国藩領主吉川広紀が奉納したものです。ただ風化してよくわかりませんでした。
参道を出て、土穂石川を渡り県道へと北上。
横断歩道橋を渡ると県道とJR山陽本線を越えることができます。歩道橋を下りると北西に行くのですが、線路沿いにある「信比古(さねひこ)碑を見ていきます。前回も訪れています。
ここは国学者 岩政信比古(1790〜1856)を顕彰する碑で、昭和30年に屋敷跡に建立された。
信比古は新庄の長溝を作った第四代庄屋次郎右衛門の子孫で、第九代の庄屋をを務めた。
16歳で本居宣長の高弟であった出雲の千家俊信の最初の門人となった。国学を修め、その著書は、文化11年(1814)の「出雲まうでの記」をはじめ20数種に及ぶ。また、歌道の達人でもあった。
信比古の人柄と学問を慕って集まった門人は、200余人に及んだたという。秋良敦之助、世良修造、月性なども名を連ねる。
碑を見て街道に戻ります。北西に進むと火伏地蔵があります。
台座を入れて2m以上ある立派な立像で「鎮火」の名がある。明和2年(1765)に建立されています。
街道から外れて、「岩政次郎右衛門奥都城」に立ち寄ります。
岩政次郎右衛門(1656〜1736)は、新庄の第四代庄屋在任中に新庄長溝の開発にあたった元禄2年(1689)に、3年の歳月を費やし、柳井川から取水し黒杭ハゼケ谷から新庄を経由して余田堀に至る全長7㎞(当時)の灌漑用水路を完成させた。それまで干害に悩まされてきた農民は、次郎右衛門を「水の神」と崇めるようになった。「奥都城」は神霊の鎮まる所という意味で、次郎右衛門の墓所。長溝は、300年以上たった現在でも使われている。
次に少し西にあるラクウショウの木を見てから街道に戻りました。
のでらの道標。野寺の観音堂への参詣の道しるべ、ポッキリと折れてました。(参加者が元に戻してくれました)街道は左に曲がります。
新庄から余田に入ります。
このまま西へ向かい、昼食会場の「余田公民館」に12時過ぎに到着しました。
ここで30分の休憩後、隣にある名合(なごう)八幡宮に向かうます。
旧余田村と平生町竪ヶ浜の氏神。宇佐八幡宮から勧請。元の名称は「長尾八幡宮」であったが、いつのころから現在の名称に変わった。
ニの鳥居は新庄の土穂石八幡宮と同じ元禄6年(1693)となっており、岩国藩領主吉川広紀の奉納です。
八幡宮に参拝した後参道を下り、旧余田村役場と租税完納塔を見ていきました。
街道に出ると、東へ戻ります。途中に「余田の一里塚」があったそうです。
ここで、街道沿いにある「ホシファーム」のご厚意で、温室内を見せて頂きます。
1号棟は今からカーネイションの栽培をされるところで、まだ小さな苗でした。5月の母の日に合わせて作るそうで16,000株を育てるそうです。
2号棟はバラが栽培されています。10種のバラがあります。茎がピンと真っ直ぐに延びているのがすごかったですね。バラは7年で植替えられるそうです。
4号棟は柳井市のコチョウラン栽培業者さんが、使っています。最新鋭の空調設備で一年中温度と湿度を管理され、苗は台湾の業者から買っているそうです。
花が終わってても、上手く管理すると来年も花が咲きます。
約30分の見学後にバラの花を3輪頂きました。
風邪で鼻が詰まっていたので臭いがわからなかったのが残念です。
もう一度余田公民館に戻りトイレ休憩をとりました。
休憩後、街道に戻り西へ向かう。
途中の小平尾(こびらお)の地蔵を見ていきます。
風化がひどくて建立年は不明です。基礎石に盃状穴が計19個あります。隣の灯籠は寛政11年(1799)に建立されています。此方にも基礎石に盃状穴が6個あります。これは見たことないです。
街道はこの先から田圃の中を通っていたようで、圃場整備で無くなってます。
踏切と県道を渡り田圃の中を進むと灸川(やいとかわ)沿いに進み、「流蛭子社」に立ち寄ります。
昔はこの辺りは昔海だったそうで、「唐戸の瀬戸」と呼ばれてました。ある時、恵比寿の御神体が広島からこの地に流れつき光を放っていました。
これを蓮台寺の吉光法印が拾い上げ、自分の坊に小社を建てて祀ってました。
その後流れ着いた岩礁に小さな祠を建てて、遷座しました。今は太陽光発電のパネルが並んでます。社は道路の反対側に移さらています。
婦人病と夜尿症に霊験あらたかだそうです。
街道へと戻ります。
これから南に峠を越えて行きます。といっても余りきつい峠ではありませんでした。
峠を下りると、平生町の竪ヶ浜地区に入りました。
住宅街を抜けて国道188号線に出ると、ゴールのイオンタウン平生までもう少しです。予定より早く15:50にゴールしました。バスの時間までもう少しあるので、柳井市観光協会のアンケート用紙に記入します。
16:11のバスで柳井駅に戻って来ました。お疲れ様でした。