はな 月命日に思うこと | はな&ゆう の時代

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私たち夫婦と、はな と ゆう 二匹の猫との出会いから現在までを綴っています

昨日は修理に出したパソコンが返ってきたので(正確には、返ってきたのではなく別品と交換)、新しいフォルダーを作ってファイルを整理し直し(これはまだ終わっていない)、ウィルスバスターをインストールし、ネット環境を整備し、丸1日、設定をしていました。

ということで、今日のブログは新しいPCでの更新です。

 

さて、28日は はな の25回目の月命日でした。

線香を上げて、アルバムを見ていると、初めて出会った頃からのアレコレが改めて思い出されました。

利根川の堤防で鳴いていた はな を連れ帰り、我が家の子になってまだ日の浅い頃の写真です。

出会ったその日、その瞬間から、はな は懐いてきました。まさに、「ウチの子」になりに生まれてきた猫でした。

 

我が家で初めて迎える夜。段ボールの中の はな

 

出会った瞬間から抱っこできました。

連れ帰る車の中では、妻の肩に乗って寝ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

初めての雪

 

19年余り前、埼玉県加須市の利根川の堤防で出会った子猫は、今はその一生を終え、南信濃、豊丘村の土の下で、永遠の眠りに就いています。そして、長い長い長い眠りの後に土に還り、いつの日か新たな命を育むために。

 

 

 

2月最後の日の昨日は、また雪降りでした。

何度か書いていることですが、私は現実的な考え方の人間で、虹の橋の話なども全く信じていませんが、こと、はな、ゆう、たま に関しては、どうもそうではないようで、亡くなった直後の「遺体」としてならまだしも、火葬も済んでお骨になってしまえば、それはもう、無機質な物体に過ぎない・・・筈なのですが、3人に関してだけはどうしてもそう割り切れない。

 

骨壺に入って自宅の仏壇に置いていた間はもちろん、墓苑の土の中に埋めてしまってから4か月以上も経つ今でも、私にとって、そこにあるのは無機質な物体ではなく、はな と ゆう と たまちゃんなのです。

だから、二度と再び日の光を浴びることのない、朝も昼も夜もない、永遠に真暗闇の土の中で怖い思いをしていないか、悲しい思いをしていないか、不憫になります。

雨や雪が降れば濡れていないだろうかと考え、気温が下がれば「寒い思いをしていないだろうか」と心配になり、墓参りに行かない間は「寂しい思いをしていないか」と気になります。

 

前回の墓参りが2月9日、次回は今月8日ですから28日振りということになります。埋葬以降、これだけ間を空けたことはありませんでした。その間、この冬一番の寒波があったり、一番の積雪もあったりしました。

あと1週間です。