■手紙
例えば誰かに手紙を書いたとする。
いつまで経っても返事がない。
でもその手紙に意味がないのかといえばそんなことはない。
手紙とは無償の愛みたいなものだ。見返りは求めるべきではない。
そして無償の愛にせよ、手紙にせよ、相手の何物かにはなっているんだ。
自分への言い訳であり、戒めでもある。
■アイデンティティは根付く
自分に根付いているものは経験であれ、考えであれ、思い出であれ、すぐには消すことはできない。
現在、日本で最も孤独という言葉が似合う男に菅という男がいるらしい。
彼は市民運動出身である。市民運動とは少数派が前提みたいなものだ。
そう、彼の根っこに根付いているのはマイノリティであればあるほど燃えるというアイデンティティなわけだ。
マイノリティを救い上げる姿勢は今の政治家に欠けているものの一つであるが、ろくな信念も根拠もないマイノリティを誇らしげに腰からぶら下げるのは下の下だ。
今は評価されていないが、後々に評価される。自分はピカソや坂本龍馬のような人間だと思っているんだろうか。
だったらそれは間違っていますよと芯の通った奥さんあたりが助言してあげてほしい。
ピカソは評価されていなくても絵を描き完成させ、龍馬は数々の実績を残した。
彼は今までにどんな絵を描き、どんな実績を残しただろう。
■裏があるから表がある
本を読む人は一般的に知的で思慮深いと考えられている。
しかし色んな本を読んで色んな影響をダイレクトに受けている人は果たして魅力的だろうか?
個性は埋没してないだろうか?
毎日毎日、健康のためか自己満足のためかちょっと異常な距離をランニングしている人たち。
一見心身ともに清々しく、いかにも長生きしそうだが果たしてそうだろうか?
あまり走り過ぎると脳が揺れる。これはどう考えてもよくない。
事実、マラソン選手は長生きしない方が多い。
朝ごはんを食べると学力が上がると信じ込む親たち。
朝ごはんを食べている子どもというのは規則正しい生活を送っていて、家庭環境も比較的穏やかだと思われる。
別に朝ごはんを食べているから学力が上がるわけではなく、
朝ごはんを食べる生活習慣を送っている子どもの学力が高いだけじゃないのか?
物事には表があり裏がある。一見表のようで裏のようなものもある。
肝心要は何が表で何が裏かを見極め考え、その上で信じるなり陶酔するなりしないかんということ。