1988年1月に3人が帰ってきた、2月25日に国際交流推進団体組織「ギルロイ市と交流を深める会」(仮称)設立の発起人会を開き、会長として同級生の北村君以外にはないということでにお願いし、了承してもらった。
3月15日北村栄行(歯科医)を会長に正式名称『ギルロイ市と友好親善を深める会』をたちあげた。
この頭文字を組み合わせると、「田子とギルロイ市と国際交流する協会」で
T・G・I・F・AということでTGIFは「Thank God, It's Friday.」(ありがとう神様、今日は金曜日だ)、70年代に流行ったスラング。
また「タプコプ町民塾」の2期生の入塾が37名もあった。内訳は10代3人、20代9人、30代20人、40代5人で引き続き樺山東大文学部助教授に塾長を副塾長は笹森正氏で事務局を担当ということになった。その他
会費制結婚式についての幹事会が公民館にて。
むらおこし観光開発委員会が八戸で。
町民塾主催にてログハウス研修会、手作りハム試食会
商工会青年部主催冬期レクレーションとして大福山にてスキー大会
5月20日に盛岡ホテル東日本にての牛の丸焼き出張にて会議
夏に開催の青函博覧会イベント外ヶ浜フェスティバルの実行委員会
デザイナー高倍正基氏の勉強会
にんにくとべごまつり委員会の会議
田子ゴルフ愛好会の設立、18人集合した。等々
3月末ギルロイ市のテッド内田氏からは町長に来てもらいたいとの電話連絡が入り、訪問日を4月15日としてギルロイ市側と根回し(ネゴシエーション)をしてくれるとのこと。そのため4月にはいってから町長、議長、総務課長、農協ニンニク部長、担当課長を入れギルロイ訪問勉強会をもった。
1988年4月15日(金)田子出発
渡部剛己 田子町長
藤村義雄 町議会議長
山崎喜三郎 総務課長
柳田慶一 田子農協ニンニク部会長
以上4名を引率、案内、運転手することになり、「田子町商工会青年部長・タプコプ町民塾事務局・ギルロイ市と友好親善を深める会事務局」という肩書きで、ようやく渡航にかかる旅費が全額出た。
三戸駅から盛岡駅やまびこ36号にて上野駅下車、上野駅すぐの聚楽で昼食後スカイライナーにて成田まで。成田東京国際空港16時30分発ノースウエスト航空028便NW-028に搭乗。
なぜ毎回ノースウエスト航空かというと当時アメリカ大陸往復航空運賃最安値を提示しているなかで、旅行社がおしてきていたからに、ほかならない。
日の丸JALには乗りたくてもとてもとてもという時代だった。
4月15日サンフランシスコ朝9時45分着。ハーツレンタカーでシェビーのワゴンタイプを借りて、ギルロイ市へ5号線を南下し、昼すぎ着。
ロベルタ・ヒューワンギルロイ市長と商工会議所副会頭ののデイブブシャード氏の案内にて、クリストファーランチというギルロイ周辺の野菜やにんにくを全米に卸している会社を訪問した。全米1番のにんにくの会社の前には、日本国旗日の丸が掲げられていた。ドン・クリストファー社長の案内で特別に工場内を見学。その近くにあるギルロイフーズというアメリカ最大のにんにく乾燥粉末工場も視察したが、撮影禁止にてカットは無し。
日本の大手カレーインスタントラーメン会社に輸出しているということで、サンプル製品がショーケースにて展示してあった。後にマコーミックという世界有数のスパイス会社の出資となり傘下になった。
このギルロイ訪問時に日本人がこの地にてガーリックキングと呼ばれた人物がいたことは、全く知らなかった。

クリストファーランチ社にて


クリストファーランチ社にて


ギルロイ市長と商工会議所ブシャード氏の案内にてクリストファーランチ視察


ギルロイ市長とクリストファーランチ社長ドン・クリストファー氏から説明をうけた。

