1987年12月 | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

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青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。

1987年9月テッド内田氏引率、田子町を訪問しギルロイに帰ってから、彼はいろいろな場所で、感激したことを話してくれていた。田子町という町が日本にある、そこは典型的な田舎の町で今回手作りにて町をあげて、ギルロイ市長らを心から歓迎してくれたことを。
田子町に入ったおりにバスからみた、子供たちがアメリカと日本の小旗をふって追いかけてきたことに、皆が感激して涙を流したこと。田子町の「暖かいホスピタリティー」をギルロイ市民の方々に報告していた。

 実は26日夜の歓迎会のときに、たまたま同席したある高校生から「ギルロイへ行ってみたい」とお願いされていた。
テッド内田氏には、このことは話をしていた。また彼も、次の交流の場面を作るために、また熱いうちに、お互いに出来ることをやろうということで、考えは一致していた。
田子町の子供たちがギルロイを訪問させ、ホームスティをしてもらうことであった。
 この提案には教育委員会に動いてもらわないということで、仮称「第1回高校生短期派遣事業」にして、ギルロイ市側はテッド内田氏が受け入れてくれることで、話はトントンといった。ただ最初は地元からということだったが、田子高校生だけと枠をはめられなかったのは、希望している生徒が他の高校に行っていたからであった。
予想したとおり、田子町から補助金を出すことで地元優先ということを言われた。一人あたり15万。
最初の田子出身の高校生3人を選抜し12月21日より1月4日までギルロイに旅行するということになった。
だが、この事業を立ち上げたことにより、その後から田子出身の高校生は行きやすくなった。
 12月12日に3人の生徒にホームスティのことなどの打ち合わせをした。17日にテッド内田氏からギルロイの方ではヒューワン市長の家とか、ノーマンミネタ下院議員のパーティにも招待参加できると、準備しているとの電話が入った。
 12月21日三戸駅8時55分の電車にのり出発。成田発18時のノースウェスト航空サンフランシスコ行。成田まで宝田主査同行。
 ギルロイの地元紙「デスパッチ」は、田子町から女子高生3人が来てホームスティし、交流を深めたこともとりあげていた。翌88年1月4日に田子着無事帰ってきた。8日に町長主催にて帰国報告会を開いた。

今振り返っている87年手帳のページ最後には、来年はこうするというメモが書いてあった
✩ギルロイ市と姉妹都市を結ぶ。

これは1989年第2回高校生短期派遣のとき