
実は26日夜の歓迎会のときに同席したある高校生から「ギルロイへ行ってみたい」とお願いされていた。テッド内田には、このことは話をしていた。また彼も、次の交流の場面を作るために、また熱いうちに、お互いに出来ることをやろうということで、考えは一致していた。田子町の子供たちがギルロイを訪問させ、ホームスティをしてもらうことであった。
この提案には教育委員会に動いてもらわないということで、仮称「第1回高校生短期派遣事業」にして、ギルロイ市側はテッド内田氏が受け入れてくれることで、話はトントンといった。ただ最初は地元からということだったが、田子高校生と枠をはめられなかったのは、希望している生徒が八戸の高校に行っていたからであった。予想したとおり、田子町から補助金を出すことで地元優先ということを言われた。
最初の田子出身の高校生3人を選抜し12月21日より1月4日までギルロイに旅行するということになった。だが、この事業を立ち上げたことにより、その後から田子出身の高校生は行きやすくなった。12月12日に3人の生徒にホームスティのことなどの打ち合わせをした。17日にテッドからギルロイの方ではヒューワン市長の家とか、ノーマンミネタ下院議員のパーティにも招待参加できると、準備しているとの電話が入った。
12月21日三戸駅8時55分の電車にのり出発。成田発18時のノースウェスト航空サンフランシスコ行。成田まで宝田主査同行。
ギルロイの地元紙「デスパッチ」は、田子町から女子高生3人が来てホームスティし、交流を深めたこともとりあげていた。翌88年1月4日に田子着無事帰ってきた。8日に町長主催にて帰国報告会を開いた。

http://www.gilroydispatch.com/
今振り返っている87年手帳のページ最後には、来年はこうするというメモが書いてあった

✩ギルロイ市と姉妹都市を結ぶ。
1989年第2回高校生短期派遣として2人田子から


1989年第2回高校生短期派遣として2人田子から

