田子町が1986年昭和61年にたちあげた「タプコプ町民塾」という勉強会の事務局もしていた。その前年に開催された「にんにくシンポジウム」の基調講演された折り、渡部町長より町民塾責任者を依頼されて塾長として東京大学文学部助教授樺山紘一助教授(当時)が承諾し結成されていた。後から町長から聞いた話では「にんにくが好きですか嫌いですか」ということで塾長をお願いしたらしい。タプコプ町民塾結成前から、町有志で独自に、商工会青年部と農協青年部と連合青年団にて「タプコプ青年会」なるものを結成して活動をしていた。その流れから「町民塾」に移っていたが、とかく役場行政の側から作られた会なるものは、いわれた通りしかやらずに、お茶を濁していつの間にか終了ということが多いし、そういう会に参加してもただ懇親会だけをして、欲求不満におちいる、特に田舎では「飲み会=会議」という習慣で、コップをもたないと話ができない年代が主流であった。それではと年会費10000円を払ってもらうことにした。しかし会費徴収するということは、ものすごい反発にあった。

塾の活動はいまひとつ方向性が定まらずにいたので、この際認知してもらうために、町民塾主催のイベントをやろうということで、全員参加型で手作りにてある講演会を企画し、開催にこぎつけた。87年8月の盆過ぎにRAB(青森放送)本社を訪問し、伊奈かっぺい氏と会い11月10日を押さえていた。それからポスターをデザインして印刷を注文した。
それからギルロイ市長と訪問団が9月に飛び込んできたので、これを終わってからということで、10月から塾生にチケットをノルマにし、お願いした。ポスターのデザインについては、以前東京にいたときのデザインを真似た。顔写真をのせることにより、誰が参加しているかとか、これから田子町のため支えていくぞ、ということで。


今みるとあちらの方に召された方もいますが。田子町のためにありがとう。合掌

