
その訪ねてきた人物は『テッド内田』という名前で、普通に日本語で会話ができた。日系3世4世にしては、会話がスムーズだと思った。テッドは自分の経営している「Zen Grocery Green House」ゼングローサリーグリーンハウスという花栽培販売している店に招待した。そこでテッド内田さんのお父さんお母さんを紹介された。話をしていくうちに、この人は「あの人」じゃないかいうことを確信した。
ロスアンジェルスにいたときに聞かされていた「ある移民物語」であった。それは戦後鹿児島県のある町から集団で北加州の農場に移民としてきた人たちがいた。その人たちはその後頑張ってアメリカに根をおろした。今、目の前にいる人物こそ、そのリーダーの内田善一郎氏であった。


約10年ほど以前(1979年)にロスで知り合った竹之下さんも鹿児島から来た人で、また山添さんは内田さんのいとこにあたる人だった。ことが解った。後から詳しく知ることになるが、テッドは日本で生まれたとのこと。ギルロイ高校時代にフットボールの選手だったことも。この縁にて、内田善一郎氏から息子テッド誠一郎には「田子のために協力せい」ということになった。

サンフランシスコにて


サンフランシスコにて


サンフランシスコにて 頭が暑い(~Q~;)


妹のアパートにて、壁には田子町出身の宇藤義一画伯の絵をかけていた。

居酒屋「ミツキ」にて、うめむらラーメンのナベさん、田島さん


DL 昨年お世話になった柴田さん一家































