87年ギルロイガーリックフェスティバル実行委員長は日系3世のグレンスエヤス氏で、ガーリッククイーンはミスジェニファーストートン。ギルロイ滞在2日目もモーテル宿泊した。次の25日(土)朝からギルロイから101号線南下し高級リゾート地カーメルをとおり太平洋岸の1号線を北上しサンフランシスコに向かう。ハーフムーンベイの辺りでレンタカーのエンジントラブル。なんとかSF市内のベルビュホテルについた。26日(日)SF発PSAパシフィックサウスウェスト1956便にてLA空港着。エイビスレンタカーを借りてリトル東京「うめむらラーメン」の渡辺さんのところへあいさつ。

ホテル代を節約するため、妹のアパートと渡辺さんのアパートに分宿居候お邪魔虫ということで4日間滞在した。
ロスンジェルス近郊を視察研修し7月30日ノースウェスト航空001便にてLA空港発翌31日午後5時頃成田着で田子町に帰った。帰ってからはお盆があるので忙しかったが、お盆すぎて夏祭りも終わった8月末に、ギルロイから役場にFAXが届いたとのことで連絡あった。千葉県柏市にある財団法人モラロジー研究所学校法人廣池学園の関係者モラロジーハウスギルロイの大橋政夫さんからでであった。

当時国際電話KDDI料金が高かったので、田子町役場からテッド内田氏に連絡をとった。その話の内容は、9月半ば頃にギルロイ市から市長以下12人から14人程千葉県柏市訪問して、それから九州福岡市を訪問するという予定で旅行団を組織し、テッド内田氏が引率案内してくるとのことだった。

この日本訪問に関しては、テッド内田氏が独自に福岡の会社と関係をもったからであった。そこでこの機会に田子町を予定に組み込むことが可能かどうか、と探りをいれた。「いいなあ、おもしろいですね」との返事を受けた。これも「縁」かな。と思った。

このことについては町全体で取り組む必要があるということで、すぐに役場で課長会議を招集してもらい説明会となった。
日本はまさにバブルといわれて、また竹下内閣の「ふるさと創成事業」が企画されていたころで、日本の地方地域活動に対し、ようやく注目をむけつつあった。各町村では「国際交流」というアイテムが必要とされ、日本各地相手先を模索していた時代でもあった。

田子町始まって以来、海外からの訪問団を呼び込むとしたらどのようなスケジュールになるのだろうか。9月に入ってから、歓迎会とかイベントのこといろいろなシナリオを思い描いた。
昭和60年にんにくシンポジウムを開催して翌年には「第一回にんにくとべごまつり」となづけて丸焼きの機械を導入して、サンモールたっこ商店街新街区の空き地(現中央公民館)で開催し、この二回目をどうしようかとときに、このギルロイからのお客様一行が来るかもしれないということで、この際商工会青年部が建築管理している「大福山公園陽だまりの小屋」にて開催したらという話も出てきた。
丸焼き機械で豚をテストしてみた。


丸焼き機械で豚をテストしてみた。


丸焼き機械で豚をテストしてみた。


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商工会青年部のバーベキュー試食会をやった。











