初期の | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

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青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。

$田子のぐだめぎ(愚駄目技)
95年に、あるメーカーのPCを買ってから、パソコンというものは電化製品ではないということがわかったのは、当時のマッキントッシュとの違いがわかってからである。その後インターネットなるものを接続するには、当時最速(選択の余地なし)ISDNというデジタル回線で接続し、HPを作成してから通販の真似事をした。2000年問題ということが発生するかどうか世界中で、1999年12月31日にパソコンを前にして年越しをした叫びという人もいたそうだ。(消火器を用意して)にひひISDN時代を経験して来た人たちにとっては、次のADSLを望む声がありながら、2005年頃隣町にはADSLが来たと聞いたら、積極的に電話局に「田子町にはいつ来るんですか」催促の電話をした人もいたぐらいだ。しかし返事は「田子町にはADSL予定は全くありません」といわれ、それじゃ引越しするしかないと真剣に考えて人もいた。このことは単なる笑い話だけではなく、高度成長し、経済大国になった日本での地域の格差拡大だとしても、吉幾三の「おらこんな村いやだあ」と歌いたくなるようであった。その後田子の一部の地域にはADSL環境を受けることができた。しかしこれが、この町での新たな地域格差が生まれることになった。山村集落には奥深くまで公社が電話回線をめぐらしたが、会社になってから経済効率なるものを最優先したらしく、ADSL接続のお客さん獲得は出来無いと考えたようだ。
 この問題について、ネット発明国アメリカはどうしたかというと現状の電話回線の容量にて最速ネット環境をつくるということで、ADSLが普及しすでにインターネットが生活の一部となっている。地方議会もネットにより中継されて住民参加できるのは当たり前の時代になっている。
 この2010年4月より光ケーブルが敷設された田子町は、隅々にまで世界最高速でADSLのおよそ100倍以上ともいわれるネット環境が準備された。
 これをどのように使いこなすかは、『あとは町民しだいだ』としてボールを投げられても、「ハイわかりました」と、補助金で建てられたハコモノのようなものみたいに、使いこなせる代物ではない。この10年間を経験していないものに対して、「後はがんばってやってください」と言うだけでは『責任放棄である』といえる。とにかくパソコンは単なる電化製品では無いからである。プンプン